大部分は「どこかで読んだ話・誰かから聞いた話」の繰り返しだけど。
時に暴力を伴う過激な政治活動に没入する青年活動家の言葉として、「本なんか読むと、自分の中の信念が損なわれるからいっさい読まない。それよりも行動だ」という趣旨の話を読んだことがあります。
青年活動家による「読書という行為」への批判は、元から自分の中に固定されている考えを確認・補強するためだけに読書をしている方を念頭に置いて行われているのではないかと思われます。
その活動家は、読書をしてこなかったわけではありません。
古今東西の万巻の書を読み、考え抜いて発言していたにもかかわらず、自らの政治信念を実現するためには、なんら無力であった。
その悔しさから、最初の言葉になったとも聞きます。
自分自身を顧みても、そのような読書の仕方をしている傾向は否定できません。
既存知識の確認・補強だけではなく、新しいことも知るために、まったくの未知のものへも触れるようにはしていますが、やはり、好きな分野・既知の分野が中心になっていますからね。
また、本を読んでいろいろ発言しても、それはその時々の切り抜き断片だけを引用しているだけで、自分で考えているわけではないのかも、と。
私がこうして書いている文章も、大部分は、どこかで読んだ話・誰かから聞いた話の繰り返しです。
でも、今だけは、一部だけは、自分で考えて、発言しているつもりです。
小さな一個人の行為としては、それくらいで限界なのかもしれません。
本日の参考文献はこちら。*1
- 作者: ショーペンハウアー
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/09/25
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
行動派のための読書術―よりよい<知的生活>のために (1980年)
- 作者: 鈴木邦男
- 出版社/メーカー: 長崎出版
- 発売日: 1980/03
- メディア: ?
- この商品を含むブログを見る
*1:冒頭の青年活動家は、鈴木邦雄氏ではありません。
再び、本を読むことについて。(積読の発生原因など。)
公共図書館や大学図書館では、図書整理期間や長期休暇の際、いつもより多め・長めに本を借りられることがあります。
そこで、ふだんは読めないような量を一気に借りてきたのですが。
結局、ほとんど読みませんでした。
その間、読書が止まっていたわけでは無いのですが(別な本は読んでいました)、なぜか、手がつきませんでした。
私はいろいろな分野を脈絡なく読んでいるようにみえて、実は前に読んだ本の「続き」や「関連」を辿って次に読む本を選んでいるらしく。
どうやら、まとめて借りてきた本は、その「読書のチェーン」に入っていなかったようです。
思うに、本を買っても「積読」になってしまう原因は、その瞬間は持っていたその本への関心の繋がりが、切れてしまうからではないかと。
調べ物に使う本で無い限り、一度、積読になってしまった本を読み始めることはまず、ありません。
本棚のスペースには物理的な限界があります。
図書館の本は返却すればいいのですが、購入して積読になったものは、処分しております。
読書の興味の連鎖に入ってきたら、また購入すればいいだけですから。
こちらもどうぞ。
sura-taro.hatenablog.com
部下を信頼して「仕事を任せている」状態について。
よく、「部下を信頼して仕事を任せることが、その部下の成長に繋がる。やり方を一から十まで全部指示したり、途中で口を出したり、ましてやできないからといって仕事を取り上げてしまってはいけない」という旨の意見が聞かれます。
これは、多くの場合、当たっていることと思います。
部下のやる気を奪う原因は、なんでも自分で決めないと気が済まない上司の存在や、仕事の進め方についての狭い裁量などにあると聞きますので。
このことを知ってか知らずか、上司の中には、ほとんど仕事のやり方の指示を与えることなく、途中経過も確認しない方もいるようです。
この上司は、「部下を信頼している」ため、最後の決裁承認も中身も見ずに黙ってハンコを押すことに。
一方、部下からすると、この上司は「仕事も部下も放置している」ようにしか見えません。
仕事の着手時点、途中経過に何も聞いてくれず、最後も中身も見ずに承認。
これでは、部下の仕事の価値をわかってくれているかどうか、不信を抱いてしまうでしょう。
部下が危機感を持って、途中や最後に説明しようとしても上司は生返事で聞いてくれない。
こうなると、部下の不信感は決定的なものになってしまうことに。
ところが、上司は「部下を信頼して仕事を任せている」つもりなので、部下が不信や不満を抱いていることに気付きません。
これは、同じ事象を見ていて、それぞれの立場により違って見えているだけなのでしょうか。
本日の参考文献はこちら。
- 作者: 鈴木義幸
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2014/04/11
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
表面の綺麗事と、内心の本音の出現頻度について。
誰しも、他者からは「善良な人間である」と評価されたいと願っていることと思います。
そう思われていた方が、敵も作らず、安全ですから。
そのため、思ったことをそのまま発言するのではなく、本音は内心に秘めたまま、綺麗事・建て前論を並べてしまうことになるのではないかと。
羨望とか嫉妬があったとしても、それを隠して、「そんなのは気にしない」というふうにふるまうとか。
何か、怒りを感じるような人物のふるまいがあったとしても、目を逸らして立ち去るなど。
私も、むやみに他者との間で波風を立てることを望みませんので、本音をさらけ出して言いたいことみんな言葉に出しているわけではありません。
それは、ほんのひと時、すれ違うだけの人間関係ならなおさらですし、親しい知人関係や、家族の間でさえも、本音は内心に秘めておく行動は、程度の差はあれ、同じですね。
これをずっと続けていると、なかなかにストレスが溜まりますので、たまには、本音を言ってみたいということも心をよぎります。
でも、ネットでいつも何かに本気で怒って、何かと戦っている人々を見かけるに、あれはあれで別な性質の疲れを感じるのだろうな、とも。
要は、表面の綺麗事と、内心の本音の出現頻度についての、程度の問題なのかもしれません。
なので、私もこんなところでいろいろ書き散らかしております。
それで、上手く精神状態をコントロールできているのではないかと思います。
「国家の選良」との一瞬の交錯とその後の運命について。
最近、その言い方を耳にすることも減りましたが、国会議員は「国家・国民の選良」とも呼ばれることがあります。
国民の選挙で選ばれるわけですから、「選」はわかりますが「良」であるかどうかは評価する人の価値観によりけりなので、なんとも言えません。
ただ、その方に共感し、期待して投票した方にとっては「選良」であるのかもしれません。
2009年の民主党への政権交代の際、小沢チルドレンと呼ばれた大量の新人議員たちが誕生しました。
おりしも、SNSが発達するようになり、民主党議員に限りませんが、多くの議員が編集の効かない生の発言をして、その不見識に対して大量の批判が浴びせられることもよくみられるようになりました。
炎上、というものですね。
フジテレビの経済記者であった某議員は、やはり小沢チルドレンの一人でしたが、内部留保がうんぬんということで企業会計や経済の仕組みを知る者からすれば、明らかに誤った発言をTwitter上で行い、大炎上を起こしていました。
私も、今のように控えめではなかったので、自分は元フジテレビの記者だ、経済を知っているなど、権威を振りかざして内部留保うんぬんの発言を正当化しようとする某議員の態度の不誠実さに怒り、リプライをぶつけてしまったものです。
その後、民主党は数々の失政で国民の信を失って選挙で大敗し政権をおりました。
某議員も、落選してしまい、今はもう国会議員ではありません。
先日、何かの時にTwitterに某元議員のtweetが流れてきました。
まだ、政治活動はしているようですが、あらぬ被害妄想にとりつかれているのか、人違いしてまったく無関係の他者に意味がわからない非難をぶつけたりしていました。
すいぶんと、精神状態が良くない状態なのではないかと。
そんな姿を見て、この方は国会議員などにならなければよかったのではないか、社会を良くしたいという志があるのなら、政治家という選択だけではなかったのではないか、と。
5年ほど前、政権党の現職議員で、さらに元TV経済記者という権威を振りかざす者に対しては何ら容赦する必要は感じませんでしたが。その権力をもった立場は、ほんの一瞬だけであり、今はただ、気の毒な方だとしか見えませんでした。
某議員だけではなく、多くの元「国家の選良」たちは、どんな運命にいたっているのでしょうか。
銀行での金融商品購入の前に知っておきたい「あっせん委員会」の仕組みなど。
高齢者等の知識不足につけ込んだPCデポによる組織的とも言える「情弱商売」への批判が高まっております。
関連して、同じく「情弱商売」であるとして、銀行の投資信託販売も批判されており、こちらについて「苦情を言っても銀行側は知らぬ存ぜぬで、損失をこうむった高齢者は泣き寝入りになっている」との声も聞こえております。
こちらにつきましては、まったく苦情を聞いてくれないというのは必ずしも正しくなく、全国銀行協会が設置している「あっせん委員会」というものがあり、購入した銀行窓口で「知らぬ存ぜぬ」とやられても、そちらの委員会に申立することができます。
あっせん委員会とは、裁判外で当事者それぞれ(投資信託などの購入者と銀行)の証拠となる書類の提出と言い分聞き取りを受けて、裁判外の和解をあっせんするものであります。
本格的な訴訟となりますと、時間も費用も要することになりますが、あっせん委員会への申立は無料で行うことができ、おおむね6ヶ月程度であっせん案を出してくれます。*1
平成23年度の新規申立件数は1,086件でしたが、年々申立件数は減少傾向であり、平成27年度には124件となっております。
これは、金融庁による厳しい監督や証券業協会などの自主規制などが徐々に効果を発揮し、銀行による強引な勧誘によるトラブルが減少しているとみることができるでしょう。
平成27年度の新規あっせん申立件数124件の内訳をみますと、投資信託販売など証券業務に関するものが39件(32%)、保険商品窓口が23件(19%)、為替デリバティブなどのデリバティブ商品に関するものが19件(15%)と、その多くが預金とは異なり元本が保証されないリスク商品に関するものであることがわかりますね。
申立の理由としては、強引な勧誘、リスクについての説明不足などが多くを占めているようです。
あっせん委員会は、全銀協という銀行側の業界団体が組織している団体なのだから、銀行側に不利なあっせんをするはずがない、という意見も見かけます。
しかし、公表されているあっせん事例を紐解いてみますと、必ずしも銀行側の言い分ばかりを採用しているのではなく、購入者側の見解を取り入れて、銀行側の説明不足などを認定して元本割れした部分の一部補填、手数料の返還などが行われているケースも存在しております。*2
このように、救済の仕組みはあり、あっせんという裁判外の手続きであって、費用や時間は訴訟に移行した場合に比べれば多くはかかりません。しかし、必ずしも購入者側の言い分が採用されるわけではなく、あっせんにかかる心労はたいへんなものになります。
なので、「売り込みしたい」という前提を持っている銀行員の説明を鵜呑みにするのではなく、自分で投資信託の商品内容を勉強し、そのコスト、リスク、リターンが見合うものであると理解し、購入すべきか否かを判断することをお勧めします。
私個人の意見としましては、銀行で窓口販売されている投資信託などの多くは販売手数料や信託報酬などが割高であり、その期待リターンもリスクに見合っていないものが多いのではないかと感じております。
銀行での投資商品購入に関しましては、こちらもご一読をおすすめします。
難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!
- 作者: 山崎元,大橋弘祐
- 出版社/メーカー: 文響社
- 発売日: 2015/12/04
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
秘密を知っているということについて。
人の知らない秘密を握っているという感覚は、自分があたかも選ばれた人間であるかのような優越感をもたらすと聞きます。
事実、秘密を握って「情報の出し方」をコントロールし、人々を翻弄することで権力を行使している人物は多いと思われますので。
会社組織の中にも、新製品の発売、次期の役員人事、決算業績の動向まで、外部には知り得ない多くの秘密があります。
多くの秘密を持っている経営陣の中には、時に、自分は選ばれた人間なのだから、守秘義務の対象範囲外だと錯覚している人物がいることがあります。
会社からの正式公表の前に、日本経済新聞が書き飛ばす記事を見かけるに、「内部から情報をもらっているのではないか」という疑念を感じることも。その情報をもらしてしまうのは、その立場にある人=偉い人であるとしか思えません。
私が考えるに、そんな飛ばし記事は、先んじてスクープ報道をしたいという日本経済新聞の功を焦る気持ちと、特別に秘密を教えてやるのだ、俺はそういう秘密を持っている選ばれた人間なのだというつまらない虚栄心の結合によって起きているかもしれません。
これは公正であるべき資本市場のルールに違反するものであり、彼らの卑しい精神を満足させるだけであり、無価値どころか、資本市場に害を為すものであると糾弾したいと思います。
さて、昨今、秘密を持っているは偉い人だけではありません。
SNSでの投稿をきっかけに、あるパソコン等を販売する会社が、組織ぐるみで、知識が無い弱者から無知につけ込んでお金を巻き上げるような商法を行っている実体が明らかになりました。
偉い人は「私はそんな命令はしていない、現場の部下が勝手に暴走したことだ」と言い逃れしようとしましたが、現場の秘密を握る人々は声をあげ、その嘘はたちまち暴かれることに。
秘密の情報は、偉い人の虚栄心を満たすために悪用されることもあれば、必要な時に明かされることで社会正義の武器にもなるようです。
あなたは、どんな秘密を知っているでしょうか。