新しいアイデアの弱点の「ご指摘」だけをする人について。
仕事は日々増えていく一方なので、、なんとか既存業務を効率化できないか、イノベーション、などという大げさなものではありませんが、アイデアを絞っております。
そのアイデアは、大規模なシステム投資をして抜本的に仕事を変えるなどというのではなく・・
「こうしたら手順が一つ減るし、電話で確認するというプロセスは無くせるよね」
そんなレベルの積み重ねです。
誰も思いつかない独創的なものではなく、ほぼすべて既存知識の組合せでしかありません。
そのアイデアは思いついた時点では完璧なものではありません。
揚げ足を取ろうとすれば、いくらでもその「弱点」を指摘することができるでしょう。
業務改善のアイデアはみんなで前向きに取り上げて検討する、という合意ができていればいいのですが。
一人でも「ご指摘」だけを自分の役割と勘違いし、自分では何もアイデアを出さないのに、斜に構えて人の言うことの粗さがしを始めてしまう人がいると・・
やがて、そのご指摘にうんざりして誰もアイデアを出してこなくなってしまう。
そういう指摘だけする人に支配されてしまった組織は停滞し、やがては前例踏襲だけが習い性となって腐っていくのではないかと。
あなたの組織に、そういう「ご指摘だけをする人」が混じり込んでいないでしょうか。
チームが機能するとはどういうことか ― 「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ
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企業内で、自らが正しいと信じることを成し遂げるためには、政治力が・・
本日のお題はこちら。
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えー、身も蓋もないタイトルだな・・と思われるかもしれませんが・・
一部、引用いたします。
社内政治は影響力のゲーム。信頼関係、実績、専門知識が影響力を作る
議論で勝って上司をやり込めても相手は理屈でかなわないから渋々従っているだけ、仕返しの機会を伺っている
企業は、経済合理性に徹して一体として行動、冷徹に利益を追求するもの・・ではありません。
企業は、生身の人間の集まりであり、そこでは合理性とは程遠いドロドロした情念で人々が動いている・・
そこで、自らが正しいと信じることを成し遂げるためには、「政治力」が必要となる。
政治力といいましても、派閥を作って陰謀をめぐらし、ライバルを陥れて自らが駆け上がる・・というわけではありません。
詳しくはネタばれになりますので、これ以上は内容には触れませんが、自ら組織で働いている者として面白く読めました。
課長クラス向け、とありますが、組織に属している者なら、誰でも。
軽く読めますので、難しい本に疲れたら、気分転換にどうぞ。
社会的に正しく振舞うことを期待されている職業の人々について。
社会的に「正しく振舞うこと」を期待されている職業というのがあるのではないかと思います。
そういう人が、道徳的に見て、倫理的に見て、正しくないことを言うとこう非難される。
「それでも大学教授か」
「社長の地位にある者の言うこととは思えない」
「新聞記者にあるまじき偏見」
「弁護士なのに無知を晒している」
などなど。
思うに、その地位にある者なら、このような言動をするべきだ、という暗黙の社会規範があって、それが破られたと感じたら先のような非難がぶつけられるのでしょう。
しかし、その地位は社会的に正しく振舞ってきたから、そのことを理由として任命されたり、資格を与えられたりするわけではありません。
大学教授になるのに、良心は必要ない。
社長の任命根拠は、よくわかりません。
新聞記者は、ただの一つの職業です。
弁護士は、司法試験に合格すれば、どんなに社会常識なるものがなくても資格が与えられます。
全人格が優れているから、その地位にあるのではないでしょう。
もし、全人格が「正しく」なければその分業の地位に就けないとしたら、その地位にない者は「正しくない」ことになるのかも。
そこまで明確に線引きされた社会もまた、息苦しいのかもしれません。
私はまったく不完全で、正しくない言動もしてしまいます。
なので、そういう人たちに対しても、正しく振舞うことを期待しないように努めたい。
そう思っています。
感情を拠り所として判断している人々について。
私にとっては会話がスムーズなのは、
社外の人では、会計監査人や顧問税理士。
社内の人では、システム部門や事務処理部門など。
判断の拠り所となる基準(法律、会計基準など)が明確であったり、技術的な合理性に支えられている部門の人々であることが共通しています。
それゆえ、こういう投げかけとすれば、どういう反応が返ってくるか予想しやすいからです。
しかし、社内政治で人間関係の根回しなどを得意としているような人物の類型とは、会話が成り立ちにくいと感じております。
経済合理性とか、明文化された判断の基準がなく、反応の根拠が、面子とか貸し借りとか。
「俺の顔を立てろ」
「奴には貸しがある」
そういう不明確で情緒的で、ウェットな感情が根拠になっているか、反応が予想しづらく、思わぬ反対を受けたりも。
いえ、実際には論理的な根拠をもって判断の拠り所としているような人々は少数でしょう。
正しいか、正しくないかでは無く、好きか、嫌い。
最初に挙げたような専門家でも、感情を拠り所として判断している方々も多い。
そういう私自身も、得意な人物類型と苦手な類型を、感情で切り分けしているようです。
職場内の自称「専門家」への対策について。
専門的と思われる金融の仕事でも、そのかなりの部分は「高度な訓練や専門知識を習得していなければできない」という性質のものではないと思っております。
平均的に読み書きができて、四則演算と基本的なパソコンスキルがあればできる。
金融の仕事に限らず、オフィスで行われる事務などの大部分はそのとおりではないかと。
ところが、いたずらに仕事を囲い込んでブラックボックス化し、他の人に触らせないことで自分は専門家であると錯覚しているような類型が観察されます。
「余人をもって代え難い」という状況を作ってしまうのは、組織で仕事をしている以上、あってはならないことかと。
管理職の役割は、「自分は専門家だ、他の輩には俺の仕事は触らせない」などと勘違いしている方のブラックボックスを解き明かし、誰でもできるようなかんたんな仕組みに作り替えることでしょう。
本来、専門家とは柔軟なものであり、世の中の新しい動きに適応して、自らスキルを磨いていくもの。
「俺のやり方」を通そうとする、お局やベテランと呼ばれるような方々は、自称「専門家」でしかありません。
若く将来のある人々に道を拓くためにも、そういう過去の人物には退いてもらわねばならない。
そのために、何ができるか。考えております。
アルコールで酩酊したときに出てくる言葉について。
もう何年も前の話ですが、一緒に飲み会に行っていた方(X氏としましょう)から絡まれたことがありました。
どういう話の流れだったか、はっきりはわかりませんが。
いきなり「お前のやっている仕事は単純で価値が無い、そんなのは派遣社員にでも任せて部署を異動すべき」とか。
びっくり。
私が当時やっていたのは、会計・税務の仕事。
単純な記帳事務だけをやっていたわけではないのですが・・
そのX氏には、そう見えていたのかもしれません。
絡んでいた方は、だいぶ酔っていたらしく。
アルコールで酩酊して、普段は隠していた本音が出たのか。
それとも、心の中にはそんなことは存在しないのに、アルコールによって急に暴言が形作られたのか。
いずれにせよ、びっくりしました。
なぜ、こんな昔の話を思い出したかといいますと、そのX氏がひどく酒癖が悪いという話が聞こえてきたためです。
でも、その人はそういう人だから、と。
いや、そういえば、私も何年も前にそんなことがあって絡まれたな、と。
もちろん、私はそのX氏とは二度と呑みには行っておりません。
コンプライアンスとかパワハラ防止が叫ばれる昨今ですが、酒のうえの「やらかし」にはずいぶん寛容であるような気もします。
アルコールで酩酊したとき、その場合に出てくる普段と違う言葉も含めてその人の人格ではないか。
何か、別のものであるかのように取り扱う風潮について、疑問も感じております。
理想の上司ではなく、せめて、標準的な上司を。
新卒での配属や定期的な人事異動でどんな部署に配属されるか、そこにどんな上司・同僚がいるかというのは、運の要素が大きいでしょう。
本当は、新人に対しては、ある程度の水準をもった標準的な教育指導ができればいいのですが・・
人事部門が主催する研修は例外として、ある程度、組織が整っている企業でも、現場での指導はそこの上司や同僚に大きく左右されてしまいます。
その上司が・・
「やり方は前の資料を見てその通りに作れ」とか
「やり方は自分で考えろ」とか
完全放置で何も教えてくれない・・まさかと思うかもしれませんが、本当にこういう上司はゴロゴロいます。
もちろん、企業は高校までの学校とは違いますので、一つ一つ丁寧に指導してくれるはずがないのは、ある程度はやむを得ない部分もありつつも。
良い上司に当たれば、
「なぜ、この仕事が必要なのか」
「この数字は、どのような意味があるのか」などを
しっかり教えてくれれば、最初の2~3年で放置・丸投げ上司の下に配属された方とはたいへんな差が出てしまうのではないかと。
ドラマやマンガに出てくるような理想の上司は実在しないでしょう。
でもせめて、標準的なことを標準的な方法で教えてくれる上司を揃える。
それが、企業の責任では無いのでしょうか。