すらすら日記。

すらすら☆

「なんとかしろ」という思考停止とその帰結について。

何か問題が発生しても、不機嫌な顔をして「なんとかしろ」と待っているだけの人々が散見されます。

こういう人は、ある程度、年齢層が上で、いわゆる社会的地位が高い人に多いのではないかと。

そういう方は、幼少の頃は親がなんとかしてくれたのでしょうか。

そして、若い頃は要領だけで立ちまわって何もせず。

やがて、社会の経済成長の恩恵を受けて豊かになり、年功と人間関係でその地位へ。

昔と異なって今は若手の数も少なく、「なんとかしてくれる」人数は減っています。

それでも、やり方を変えることはなく、ただ「なんとかしろ」。

黙っていても問題は消えませんから、誰かがなんとかします。

若手が解決してくれることもあります。

しかし、本当は上の人が決断して損切りをしたり真実を明らかにしなくてはならない場面でも、「不機嫌な表情」に迎合して隠蔽してしまうことも。

それが大規模に起きているのが昨今の企業不祥事なのかもしれません。



自分はどの立場になっても、「なんとかしろ」だけではなく、一緒に考えていければいいな、と思っております。


嫌味な言い方をしてくる方に感情をコントロールされないために。

普通に会話しているはずなのに、なぜか皮肉っぽい言い回し、嫌味を含んだ言葉、揚げ足取りのような切り返しなど、ちょっと曲がった会話の進め方をしてくる方がいます。

私だって、生身の感情を持った人間ですから、嫌味っぽい言い方をされると気分が悪くなりますが。

ふと、気付きました。

ある人がそういう嫌味な言い方をしてくるのは、

相手の気分を害して嫌な気持ちにさせることで満足するためか、

自分が優位に立ちたいからこそ、

ひどい言葉を言ってくることに気付き、これではその人の思う壺だと。

酷い言葉は、暴力です。

そういう言葉づかいをしてくる方は、あなたの感情を暴力で支配=コントロールしてこようとしているわけですから、相手の意図に沿って気分を害してしまったら、その暴力に屈することになるのではないかと。


なので、そういう言い方に出くわしたら、聞かない。受けとめない。

すべて流して、ああ、かわいそうな人だな、と。

そんな風にしていれば、言葉の暴力は無力化されてしまうかも。

感情を持つ生身に人間に「聞かない・受けとめない」というのは難しいかもしれません。

でも、気付いたからには、そうしていこうと思います。


職場で「義理お土産」を配る習慣について。

皆さんの職場にも、休暇明け、お菓子を買ってきてみんなに配るという習慣があるでしょうか?

純粋に好意でお土産を買い、それを配っていることまでは否定するつもりはないのですが。

よく見ていると、お土産を配る方は、

「休みを取ってご迷惑をかけました」

受け取る方は、

「おう、こんなものか」

などという会話も。

お土産って、楽しい旅行をしてきて、帰りを待っている人にその楽しさを分けるために配るものじゃないのでしょうか。

休暇は別に「迷惑」でもなんでもない。

お土産で「休んで迷惑をかけたことを埋め合わせる」ような気持になってたら、配る方も貰う方も嬉しくないような。

思うに、この不思議な「義理お土産」は、休暇を取ることが珍しかった時代、旅行が珍しかった時代の名残りなのかな、とも感じております。

私自身は、休暇での旅行や仕事での出張でも、こういう職場での「義理お土産」は配りません。

あまり給与水準が高くはないであろうスタッフ層が、全員に配るとすくなくとも3000円くらいはかかっているんじゃないかと。

金銭負担もたいへんですし、何よりも気を使ってしまってゆっくり休めない。

お土産配布は、職場の人間関係の潤滑油だ、そんなことは考え過ぎだという意見もあるかもしれません。


でも、私はこういう暗黙の強制は少しづつでもなくしていきたいと思っています。



できない人同士の慰め合いをいつまで続ける?

例外的になんでもこなせるスーパーマンを除けば、個々の人間のできることというのはとても小さいです。

なので、お互いにできない部分を補いあって、助け合って生きている。

助け合いが前を向いている限りは、とても良いことだと思います。

できる人ができる部分を、まだできていない人に教えても、減ったりしませんからね。



ところが、誰からか強制されたわけじゃなく、自分からやりたいって来たはずなのに。


「できない」ことを言い訳にして、できない人同士でつるみ、責任転嫁したり、慰め合ったり。


他者の気に入らない部分について意気投合し、何もならない陰口を言うのは楽しいのかもしれません。

一時的になら、いいでしょう。

一人ひとりは弱い。そんなことで気が晴れるなら。

でも、できない人同士の慰め合いは、次第に自己正当化や逃避につながります。





助けの手を差し出してみましたが、後ろを向かれてしまっています。

そうやって、ずっと逃げ続けているつもりなのでしょうか。


残業削減のヒントを探している方に・・

本日のお題はこちら。

「売上目標は変えません」

「会議資料の品質も今までと同水準」

「クライアントの要求は絶対に断りません」

でも、

「残業は来月から20%削減してください」

「仕事の持ち帰りは禁止です」

「残業時間の虚偽記載は厳罰」

働き方改革が叫ばれる中、こんな無茶な要求が現場に下りてきてないでしょうか。

そしてトドメの一撃が・・

「残業削減の方法は自分たちで考えてください!」

これでは、スタッフはどうしたらいいのか途方に暮れてしまうことだと思います。

目標は変わらない、顧客は絶対、残業するな。

仕事の成果目標は今まで通り、かつ業務プロセスの改善はしないでそのまま。

この条件下での残業制限は、「短い時間で高密度で働け」という労働強化にしかなりません。

短期的にならともなく、長期的に1.2倍とか1.5倍高密度で働けって、持続できるわけがありません。


本書は「個人の気合いと根性で残業削減」を強いられている職場の問題解決のヒントが満載です。

ただの「職場あるあるネタ」にならず、具体的な解決策も示されております。

こちらにまとめました。


先のような無茶ぶりに疲弊して、何かヒントを探している方、ぜひご一読してみて欲しいと思います。


第一歩は、聞くことから。

スタッフが報告したり、問題点の解決を求めて相談にきたりしている時に「説明がわかりにくい!もっと簡潔に」と遮ってしまう管理職がよくいます。

管理職は、多くの判断をこなさなければなりませんから、そのような長い説明は聞いていられない!というのも一面では理解します。

しかし、分刻みのスケジュールで働くトップマネジメントならいざ知らず、第一線のスタッフの説明を聞く立場の管理職であれば、まずは「じっくり聞くこと」が大事ではないかと。

説明を途中で遮ってしまう管理職が説明を聞いていられないのは、



スタッフの使う専門用語についての知識が欠落しているのか

理解力が乏しいのか。



説明が長い、わかりにくいと遮ってしまう前に、自らを顧みる必要があるのではないでしょうか。


私だって、スタッフがやっている仕事を100%、再現できるほど精通はしておりません。

わからない言葉も出てきますし、堂々巡りしてしまう説明の場合もあります。

でも、その時は、いったんは通して聞いてから

その言葉は何のことなのか、なんの問題で困っているのか。

根気よく、繰り返し聞いてあげたい。

コミュニケーションの第一歩は、話すことじゃなくて、聞くことから始まるのではないかと考えております。


期待がなければ、失望もありません。

部下は、みんな上司のことを不満に思っているのではないでしょうか。


仕事をきちんと教えてくれない。

管理職なのに、業務知識が欠けていて変なことを言いだす。

課長なのに、リーダーシップが無い。

部下に丸投げで、自分は責任逃ればかり。


などなど。

この不満は、上司たるもの、部下を親身に指導し業務知識に精通しておりリーダーシップを発揮して仕事の結果責任を取る。

こういう理想像がどこかにあって、それと実際の上司の姿が異なるから不満を持っているのでしょう。

しかし、あなたの上司は、書物に登場するようなカリスマ経営者ではありません。

たいていの上司は、能力が優れていて管理職の適性があるからという理由で選ばれたのではなく、

消去法で、

よりマシな方ということで、

単に運が良かったから、

特に理由もなく

あなたの上司としてそこに置かれているに過ぎないのではないかと思います。


期待するから、理想像と違うから、失望する。

あまり多くを期待せず、自分と同じ弱点を持ったごく普通の人間だと思って接すれば、失望もありません。

カッコいい理想の上司は、書物のなかにでも求めておくくらいにしましょう。


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