すらすら日記。

すらすら☆

地銀も前向きな姿勢だけでは食っていけない、というお話。

本日のお題はこちら。

金融、それも銀行業界は産業の脇役であるはずなのですが、どうも世間の耳目を集めるようです。

メガバンクの再編はもう落ち着き、ある意味、安定しておりますので、昨今は地方銀行について話題になっておりますね。

本書は、ベストセラーとなっている「捨てられる銀行」(1、2巻)がある意味、森金融庁長官の意向を表に立てているのとは異なり、事実を丹念に取材して昨今の銀行業界の事情を紹介しております。

タイトルの地方銀行だけでは無く、三井住友トラストのガバナンスについても触れております。

さらに、森長官の強過ぎるリーダーシップゆえに、金融庁の組織としての政策の継続性について疑問があるのではないか、ということも示唆しております。

新聞やwebの報道を丁寧に追っている方であれば、それほど目新しい事実についての知見は得られません。

ここでは、一つだけ私のコメントを。

本書や「捨てられる銀行」で紹介されているような、地銀による農業分野向けの動産担保融資とか温泉街再生などについてです。

これらの取り組みは、従来からの不動産担保や代表者の連帯保証などに依存しない、「望ましい金融のあり方」ということで、森長官も覚えもめでたいことになるかと。

しかし、新しい収益源とするためには、これらはあまりにボリュームが小さく、手間がかかる割には得られる利益は僅かなものでしかありません。

金融庁向けだけではなく、マスコミ受けもいいのですが、これでは「食えない」というのが現実です。

地銀といえども、公共性だけでは食っていけません。

預金者に利子を、従業員には給与を支払い、システム経費など様々な費用を賄い、税を納付した後に株主へ期待される配当金を出していかなければ、存続できないのは他の営利企業となんら変わりません。

前向きなポーズだけで生きていけるなら、これほど楽なことはないわけです。

では、どうしたらいいのか、というのは、金融庁に言われずとも考えております。

その選択が正しいかどうかは、森長官ではなく、将来の市場に判断を委ねたく思います。



周囲が許容してくれる範囲で求められる「個性」について。

本日のお題はこちら。

本書の内容の紹介につきましては、Twitterのモーメントをご覧いただくとしまして、こちらのブログでは一つ絞りまして少し、お話を。
twitter.com

日本の会社が求める人間力というものは群れる力・・口では『個性を求める』と言いながら、それは群れが仲間とみなせる範囲内での個性

この指摘を読みまして、ハッとしました。



わが国の社会は極めて同調圧力が高く、学生時代は「みんなと同じ」であることが強制されます。

しかし、学校を卒業して就職しようとすると、「個性のある人材を求めます」「ユニークな発想を」などという真逆の要望を出されてしまって戸惑うことに。

さて、ようやく就職活動をくぐり抜けて企業に入ると、面接で要望された通り「個性を発揮すること」を求められる。

ようやく矛盾した要求では無かった、そう安心して思うところを主張すると・・

「そういう発想は、我が社では通じない!」などという反応が。

またしても、混乱してしまうことに。


個性とは、その企業が暗黙に定めている範囲内での発揮されることに留まるのであり、本当に突飛な発想をすることは求められてはいません。

そのことは、その企業に長く属している人間にとっては当たり前であり、疑問にも感じない。

なので、その範囲については明示されることはありません。

許容範囲の見極めができない新人は、なんとか試行錯誤と手探りで許される「個性」を突きとめようとする。

やはり、企業も学校の延長であり、同調圧力と「みんなと同じ」は変わっていないのではないかと。


人は、それに耐えられるでしょうか。


日本銀行の国債「償却負担」1兆円台という表現について。

日本銀行の2016年度決算が公表されました。

その中で、このような報道が目につきました。

www.bloomberg.co.jp

「1兆円台」という数字と「負担」という言葉でインパクトを狙った見出しですね。

概ね正確な記事ですが、少々言葉足らずでミスリードを誘うのではないかと感じられましたので、多少なりとも補足したいと思います。

まず、償却原価法についてです。
国債に限らず、債券はいくらの値段で購入したかにかかわらず、満期になれば額面100円あたり100円で償還されます。
また、固定利付の債券は、付されている約定利率(クーポン)と市場金利を比較して需要と供給により値段が決まります。

国債が付されている約定利率が市場金利より高ければ、多くの市場参加者が購入したがりますので値段が上昇します。額面100円の国債を103円でも104円でも購入したいという投資家が出てきます。

逆に、約定利率が市場金利より低ければ、市場参加者が手放したがるので値段が下落します。額面100円の国債でも、99円や97円ではないと買い手が現れないわけです。

この需要と供給による価格調整は、理論的には、最終利回りが市場金利と均衡するポイントまで続くことになりますね。

さて、現在、市場金利日本銀行の強力な金融緩和政策によりコントロールされており、趨勢的には下落傾向にあります。
市場金利が低下すると、過去に発行されていた高い約定利率が付されていた国債の価格は上昇することになります。

数字を簡単にするために、約定利率2%、満期までの年数が5年の国債が額面100円あたり、105円の値段で購入されたとします。
5年後、額面100円の国債は100円でしか償還されませんから、オーバーしている5円をなんとかしなければなりません。
この5円を、満期までの5年間、毎年1円づつ均等に償却していく簿記会計の技術が償却原価法です。償却原価法を使うことにより、償還までの保有期間利回りが一定になり、償還の年度にいきなり償還損が発生するということを避けることができます。
具体的には、国債利息の減少1円(収益の減少)と国債額面1円の減少(資産の減少)で振替仕訳を行うことによっておこなわれます。

(借方)現金   2円 (貸方)国債利息 2円
(借方)国債利息 1円 (貸方)国債   1円

これを報道記事の数字を使って、日本銀行の2016年度決算、1年分表すと次のようになります。

(借方)現金 2兆4,945億円 (貸方)国債利息 2兆4,945億円
(借方)国債利息 1兆3,076億円 (借方)国債  1兆3,076億円

償却原価法は、あくまで利回りを一定に保つために簿記会計上の技術であり、利息の調整に過ぎません*1。「負担」という言葉には違和感があります。償却負担という語感から、あたかも割高な国債を買入消却しているかのようなイメージを抱いてしまうかもしれません。

なお、報道のとおり、償却原価法適用後の差引の国債利息収入は1兆1,869億円であり、日本銀行保有している国債全体がマイナス利回りになっているわけではありません*2
民間銀行では、償却原価法適用後の国債ポートフォリオ全体の最終利回りがマイナスになっているところもあるようですので、まだまだ日本銀行はマシ、ということになるのかもしれません。

なお、償却原価法による利息の調整は、購入した値段と償還までの年数により自動的に決まりますので、購入後に市場金利が上下したとしても満期まで変化しません。市場金利の変動により影響を受けるのは国債の「時価」だけです*3
このことを知らずに記事を読みますと、市場金利の低下により、既存の保有国債まで「償却の負担」が増加するかのように誤解してしまう可能性も。

「償却の金額」が増えるのは、あくまで新規に買入する国債の値段が上昇した場合であることにもご注意ください。また、市場金利が変化しなくとも、市場からの買入で国債保有量(総体の金額)が増えていけば、やはり「償却の金額」は増加することになります。

償却原価法による利息調整額だけを取りだして、「1兆円台」「負担」という見出しをつけるのは、世間の耳目を引きたいがための手法なのかもしれませんが、1兆円という数字それ自体はあまり意味のあるものではありません。

事実だけを正確に伝え、そこから何を読み取るのかはそれぞれの読者に任せる。
そういう報道を望みたいと思います。

多数の個人投資家も含め参加者のすそ野が広い株式市場とは異なり、国債を中心とする債券市場は参加者が機関投資家にほぼ限られており、なかなか一般には馴染みがありません。

わかりやすい参考書として下記の2冊をおすすめしておきます。

こちらはまったくの初心者でも読める入門書です。

本当にわかる債券と金利

本当にわかる債券と金利

こちらはある程度、前提知識がないと難しいかもしれません。上記の本の次がよいかと。


*1:償却原価法は、保有している固定利付債券の利回りは一定であるという経済的実態を表すための簿記会計上の技術であります。償却原価法を使わないと、クーポン収入による収益だけを先に認識し、償却による費用が後ずれしてしまうという期間損益の歪みが起きてしまうことになります。厳密には利息法を使用しないと保有期間利回りは一定にはなりません。事例は簡便法である定額法であります。

*2:日本銀行は、2017年3月期決算により約4,813億円を国庫に納付することとなります。国税収入が約57兆円(28年度予算)しかなく、約5,000億円という国庫納付金は、自動車重量税や石炭席有税の税収に匹敵するほどの日本銀行の国庫納付金は貴重な財源であることがわかります。過去の国庫納付金は2016年3月期3,905億円、2015年3月期5,793億円となっています。

*3:日本銀行保有する国債は、時価法によっている民間銀行とは異なり、原価法で会計処理されており、時価の変動は貸借対照表や損益計算書には反映されていません。しかし、これは財務会計上のルールだけの問題であり、経済的実態として国債の時価が下落した時に日本銀行が影響を被らない、という意味ではありません。

「変えたくない」という頑なさを溶かすためには・・

本日のお題はこちら。

抵抗勢力との向き合い方

抵抗勢力との向き合い方

昨今、働き方改革ということで、どこの企業でも、現行の業務フローをで問題になっている部分を改善・改革したり、そもそも全面的にやり方を変更したりしていることと思います。

総論としては業務改革に賛成したとしても、実際にやり方の変更を行おうとすると、必ず「抵抗」が起こります。

こんなやりとりが起きているかもしれません。


「このやり方では手戻りが発生しますし、ÅとBをバラバラにチェックするので見落としのリスクがあります、そこで・・」

「なんだと、俺は今までそのやり方で通してきたんだ、見落としするのは不注意だからだとでも言うのか!」

「いえ、そうではなくてですね・・」


などなど。

「現状の問題点」を指摘すると、たいていの人間はそれを素直に受け入れることはできません。

感情的に反発してしまいます。

「反論されたときに推進側が陥りがちなのは・・自分の正当性を訴えて相手を説得しようとしてしまうこと」

こんな時、改革推進側が、「抵抗勢力」に向かって正論をいくら述べても「説得」することはできません。

これは、私の体験でもそのとおりだと思います。

正論を言われれば言われるほど、人は意固地になって改革に抵抗してしまいます。

なぜ、抵抗してしまうのか、それを上手くかわして改革を進めるにはどうしたらいいのか。

本書では、再現性がない単なる個人的な体験談では無く、どこの組織でも使えそうな知見がいろいろ盛り込まれております。

現在進行形で働き方改革を進めている方だけじゃなく、上から改革しろって言われて反発を感じている方も。

どちら立場でもヒントが得られる一冊です。


仕事の前後のつながりへの想像力と興味について。

決められた定型的な仕事だけをしているスタッフ階層の方は、自分のしている仕事が全体の中でどの辺りに位置付けられているのか、なかなか見えません。

そのため、「言われたことだけ」をこなすことだけに集中してしまう。


自分の前工程の仕事をしている人が、その元データを渡すためにどれだけ苦労しているのか、わかりません。

自分の後工程の仕事をしている人が、渡した成果物を何のために利用しているのかにも、理解が及びません。


いわば、想像力というものが働かないわけです。

そういう方は、周りを見ることも無いので、自分の仕事がどういうことに影響を受けているのかもわかりません。

いえ、興味がないのかも。



企業の業務範囲やフローは法令改正や経済状況の変化により、どんどん変わります。

多少なりとも、創造力と周囲への興味があれば、状況が変化した時に、自分の仕事がどう変わるべきなのかということも考えるはず・・

しかし、そういう想像力と興味が欠落したスタッフは、自らは絶対に変えようとしません。

それどころか、直属の上司である管理職が業務を変更するように指示したとしても、抵抗します。

心地よい繰り返しの思考停止は楽。

変えるのは面倒。

変えなければならないことが、理解できないから。

業務命令にすら、抵抗するわけです。


こんな光景があちこちに見えるうちは、なかなか「働き方」というのを変えるのは難しいのかもしれません。


社会は、割とつまらないことでできているというお話。

以前、ネットで揶揄されていたような「意識の高い」若者という存在には、実際には遭遇したことはありません。

しかし、若手と呼ばれてる世代のスタッフが、こんなことを言いだすことがあります。


「こんなのただの事務じゃないですか!こんなくだらない仕事じゃなく、もっとレベルが高い仕事がしたい」


その若手は、知識不足なのか経験が足りないのか、「ただの事務」と蔑む仕事を満足にこなすことができません。

チェックすべきポイントを見落としてやり直しになってしまったり、そもそも根拠になっている法令や会計・税務の基準に通じておらず、まるで的外れな数字を出してきたり。

その人が言う「レベルの高い仕事」というのは、何を想定しているのかはわかりません。

推測するに、ギリギリの決断を下して企業の命運を左右したり、顧客に大きな価値をもたらして感謝と名声を得られるような華々しいビジネスシーンのことなのかも。

その人の視点からは、「くだらない仕事」が何層にも積み重なって、企業の活動が支えられて利害関係者に情報が伝えられたり、企業が顧客に利便性を提供しているのが「見えない」のでしょう。

そのくだらない仕事を支えているのは、ごく普通に働いている「つまらないおじさん」たちです。

もちろん、本当に「くだらない仕事」「ただの事務」というのは実在します。

でも、つまらないおじさんは、そのくだらない仕事・ただの事務についてしっかりと理解し、なんとか省力化できないか、効率化できないのか、頭を絞っています。

その地味な仕事の維持や改善が社会を支えているからです。


素晴らしいアイデアを生み出して、根本的な社会変革を起こすような人物でもない限りは、社会のなかで分業をきっちりと果たすこと。

そのことすらできないのに、仕事だけではなく、それを担っている人の人格まで優劣をつけて優位に立ちたいような発言をする。



若さゆえなのでしょう。

私自身も過去にきっとそうであったに違いないと苦笑いして、見逃すこととしたいと思います。



社会と会社における世代間格差への感覚について。

高齢者たちは、受け取っている公的年金について、「自分達が現役時代に納付していた年金保険料が積み立てられて、戻ってきている」のだという「感覚」をもっているようです。

高齢者たちは、「年金が減らされるかも」という薄っすらとした不安はありつつも、減額は国の政策の問題であり、若い現役層の「働き」が悪いから年金が減るという連想には繋がらないようです。

なので、政府の政策への不満を述べることはあっても、目の前の若い現役層に「お前らがちゃんと働かないから年金が減らされる!」などとは来ることはありません。

この感覚は、現実とは関係ない、錯覚です。

実際には、わが国の年金は上記の感覚とは異なって積立方式では無く賦課方式であり、高齢者が受け取っているのは自分たちの掛け金では無く、現役世代の年金保険料からなるわけですが*1


さて、もう一つ、高齢者が受け取っている年金があります。

大企業で実施されている確定給付型の企業年金です。

本人の掛け金もわずかながらありますが、企業年金の大部分は、会社側からの持ち出しです。

特に、企業年金は4%程度という現在では考えられない運用利回りを前提としているものが多く、実際の運用成果との差額は会社が穴埋めしていることも社員はよく知っています。

なので、自分たちがもらっている企業年金が支給され続けられるかどうかは、会社の経営が維持されていることが条件であることも。

昨今は、定年後再雇用が当たり前となっており、60歳を過ぎてもう企業年金を受給している方が一緒に働いていることも多いでしょう。

そして、冗談のつもりなのか、現役層の若手社員に、こんなことを言うのです。


「わしの年金がちゃんと貰えるかは、お前らの働きにかかっているからな!しっかりやれよガハハ」


それを聞かされる現役社員には、もう同じ確定給付の企業年金は存在しません。

大きく給付水準を切り下げされてしまったり、確定拠出年金に切り替えされたり。

年金だけでありません。定年再雇用のおじいちゃんの経営判断ミスや先送りで、会社の現状がひどく苦しい状況になっている。

年金でも格差があり、仕事の苦労だけは押し付けられている。

会社の中では、社会においては高齢者たちの錯覚であからさまになってはいない世代間格差が目の前に現出しています。

無自覚に「しっかり働け」などと軽口を叩く高齢者世代と。

格差を呑みこんで働く現役社員。



この地獄が社会全体に広がらないことを祈ります。


*1:厳密には、基礎年金の半分は税金+赤字国債からなっており、こちらも現役世代にのしかかっていることになります。

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