すらすら日記。

すらすら☆

合理的に正しい選択をして理想の金融業へ変化できる?

本日のお題はこちら。

銀行員大失業時代(小学館新書)

銀行員大失業時代(小学館新書)

フィンテックの進展で、既存の銀行業務はどんどん自動化・システム化され、多くの銀行員の仕事が失われる・・というお話はよく聞こえてきます。

いえ、銀行に限らず、あらゆる職業のあり方が変わっていくというのは、短期的なのか、長期的なのかという時間のズレがあるとはいえ、間違いのない事実なのでしょう。

なので、著者が主張する銀行員の仕事がなくなるという意見に対して、いろいろツッコミどころはありますが、ここでは反論はしないでおきます。

ここでは、そのことではなく、投資信託や年金保険など、銀行で販売されている金融商品の売り方について、書いてみようと思います。

森長官率いる金融庁は、従来、売れ筋商品であった毎月分配型を中心とする投資信託(信託報酬などが高めで高コスト、分配の度に課税されるため税負担も重い)を顧客本位ではないとして排撃しております。

これに対して銀行側からは、次のような反論がよくなされています。


「森長官が推薦するような、長期的に収益が得られるようなインデックス株式投資信託などは顧客には求められていない。毎月分配型の投資信託は、顧客のニーズに合っており、実際に顧客満足度も高いというのが何よりの証拠である」


これに対して、本書の著者は、森長官の改革を支持しこう述べています。

顧客本位と顧客満足は異なる……顧客側の視点においては、自分自身の心の中にあるニーズが感覚的に満足されれば、仮にそれが非合理な選択の行動となっても問題視できず、結果として自ら自己の利益に反してしまう……顧客の立場に立つことと、顧客を満足させることには、重なる部分がないわけではないものの、明確が違いが存在する。


顧客本位で行動すべき銀行が、顧客が満足しているからといって、高コストの非合理な毎月分配型投資信託を売ってはいけない、ということなのでしょう。

世の中には効果が怪しい(ほとんど効果がない、非科学的な)サプリメントや水素水など、「非合理な商品」が溢れています。

生活必需品以外の消費は、多かれ少なかれ非合理な面がありますし、それを購入することで、人々は満足を得ていることも確かでしょう。

しかし、大切なお金を預かり、公共性も求められる銀行が、そのような「非合理で」顧客のためにならないものを売ってはいけない。

・・理屈としては、わかります。

ただ、森長官の進めようとしている「合理的な」改革は、人間の非合理さの前に挫折するような気がしてなりません。

人間は、合理性だけを追求して生きていません。

理想社会を作るために合理的に正しいこと邁進している人などめったにおらず、多くは刹那的な享楽を求め、ダラダラと生きているのです。

ましてや、それぞれの顧客や銀行が、合理的に正しい選択をすれば、総計としての社会が良くなるのでしょうか。


少なくとも、私自身は合理的に、正しくは生きていません。


森長官の理想は、はたして実現するでしょうか。


事実を観察して意見を変えられない人々について。

毎日、社会では多くの出来事がおき、報道機関によって取材されてニュースとなり、人々に伝えられます。

報道機関によって論調は異なりますが、同じ新聞社の配信した同じ記事をみても、それを見た人によって漏らす感想は驚くほど異なります。

特に、価値観が鋭く対立しがちな、社会保障や教育への公費投入問題、男女の役割分担に関する問題などについては、同じニュース記事を読んでいても、まるで異なることを言っていたり。

「こういう社会問題がある」という設定自体は、記者や報道機関の価値観が投入されて作られています。

残念ながら、記者は多くの事実を観察して浮かび上がってきた問題を報道するのではなく、最初に今までに身に付けてきた価値観を事実へ投げ入れて、「ここにはこういう問題がある」という記事の作り方をしているのではないかと。

最初から、結論は決まっていて、それに合う「事実」を拾ってくる。

そういう作り方をしているのではないかという記事が多いのではないかとも感じられるわけです。

毎日、多くの出来事が起き、毎日それを報道しなければならないますから、長期的な取材に基づいて問題を浮かび上がらせるという手法がとれないのは、やむを得ない部分があるのかもしれないのですが。

マスコミのそういう姿勢は、しばしば人々の批判を浴びています。

しかし、ニュースを読む読者の側でも、最初から自分の意見は決まっていて、報道事実を見てもなかなか考えを変えることはしません。

なので、最初に書いたように、同じニュースを読んでもまるで違う感想を漏らすのでしょう。

自分の価値観に合わない報道をみて、「事実はこうなのか。ならば今までの考えは間違っているかもしれない」と意見を変えるようなことができる方はなかなかおりません。

記者と報道機関がまず「選択」して事実を切り取り、さらに読者の側でも自分の価値観を「確認」するだけのためにニュースを読む。

この複数の「選択と確認」の運動が働いているので、社会の考え、空気というものはなかなか変わりません。



自分自身、今までの「常識」に反する事実を突きつけられた時、冷静に意見を変えられるか。

そんなことを考えております。


お金を木の葉からじゃなくて「信用」から創り出すお話。

狸が木の葉をお金に変えてしまう昔話を聞かされて、「道端に落ちている木の葉をお金に変えられたらなあ」と空想したことがあるのではないでしょうか。

もちろん、これはお伽噺でして、狸ならぬ人の身では木の葉からお金を創り出すことはできません。

今日、流通しているお金を見ますと、「日本銀行券」と書かれています。

お金を創り出しているのは、日本銀行という特別な法人です。

法律によって特別に認められて、強制的に流通する日本銀行券というお金を発行しているわけですね*1

日本銀行券が精密な印刷技術で作成されています。これを勝手に作ること=偽札作りは重い罪に問われてしまうことになります。

ところで、日本銀行以外でも、「お金」を創り出せる存在があります。

それは、こちらも法律によって特別に認められて「預金」を受け入れることができる存在である「銀行」という特別な法人です*2

銀行は、みんながもともと持っている日本銀行券=お金を預かり、請求されれば、また日本銀行券で払い出してくれます。

この段階では、お金は創り出されていません。ただ、同じ価値があるもの同士を交換しているだけですね。

銀行には、預金を預かる他に、お金が手元にないけど使いたいという者に向けて貸出を行います。貸す時は、いつまでに、利子をつけて返すのか、書面で契約書を交わしますね。

この時、みんなから預かっているお金(=預金)を貸し出しているのでしょうか?

実は、違います。

銀行は、みんなから預かっているお金を金庫にしまっておいて、借りたいという人が現れたらそれを取り出して渡しているのではありません。

また、日本銀行の大金庫にしまわれている日本銀行券を取りに行って、借りたいという人に渡しているわけでもないのです。

貸出を行う時、銀行は、「この人は将来、約束通りお金を返してくれるのだろうか?」ということを見極めて審査します。審査が基準をクリアしてくれば、借りたいという人が銀行に持っている預金口座に、電子的に書き込みを行います。

「預金 1億円」と。

この預金1億円という通帳に書き込まれた数字は、銀行の預金窓口に行けば、預金残高を減らすということと引き換えに日本銀行券に交換してもらえます。

お金に変えられたのは、木の葉ではありません。

お金を借りたいという人が、将来、何か価値を生み出すことをして、ちゃんと返してくれるだろうという「信用」がお金を生み出したのです*3

借りた人は、お金をタダでもらえたわけではなく、将来、利子をつけてお金を銀行に返すという約束(=負債、債務)を負っているわけですね*4

銀行も、お金を借りた人も、偽札作りで逮捕されたりしません。

信用という、目に見えないものからお金が創り出されました。
長くなりましたので、創り出されたお金の行先については、また稿をあらためまして。

この辺りをやさしく説明してくれるテキストはなかなかないのですが、下記の2冊を挙げておきます。

現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)

現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)

新書サイズですが、銀行の信用創造の仕組みについてしっかり説明されています。ただし、入門といいましても新書サイズということで説明が簡潔な部分もあり、それなりの前提知識がないと理解に苦しむかもしれません。

金融

金融

大学学部向けの金融論テキストです。マイナス金利政策などの最新の制度まで取り入れられております。
入門レベルの経済学の知識があれば、さらに理解がすすむと思います。


*1:実際に日本銀行券を印刷しているのは、独立行政法人国立印刷局です。

*2:本記事では、銀行や信用金庫等を総称して「銀行」と呼びます。預金保険法第2条に掲げられている銀行、長期信用銀行、信用金庫等が預金保険法上の金融機関になります。厳密な法令上の規定ではここに掲げられている金融機関が扱っている金融商品のうち、同条②に掲げられているものが預金というものになります。経済的な性質では、農協や漁協が受け入れている貯金も、預金と変わりありません。

*3:これは、教科書では、銀行による信用創造として説明されています。借りる人の信用だけでは足りず、他の人の信用=保証人を立てることや、返せなくなった時に換金するための担保を銀行から要求されることもあります。

*4:将来、お金を返すという約束は目に見えません。これは企業の帳簿に借入金と記入されるだけで、物理的な形があるわけでないのです。借り手が企業ではなく個人なら、帳簿すら存在しないでしょう。

「やっぱり嫌い」という確認と共有について。

蛇や昆虫など、生理的に嫌いな生き物をわざわざ見に行って「やっぱり嫌い!」ということをする人間はあまりいないのではないかと思います。

ところが、嫌いな相手が同じ人間の個人であったり、あるいは人間の集まりである企業組織や政党、大きくは国家だったりすると・・

毎日毎晩、嫌いな対象に張り付いて、

「また嘘を並べている」

「やっぱり酷いことをやるんだな」

ひたすら怒りを表明している人々を見かけます。

怒りの対象は有名人(政治家や芸能人)であったり、マスコミや金融機関などの企業、自分とは政治思想が合わない左右の党派、近隣諸国、あるいは日本という国そのものだったり。

思うに、嫌いな対象を「やっぱり許せない」と毎日繰り返せずにはいられないのは、「嫌いだ」というのが自分自身の一部になっていて、負の感情を表明することで自分自身を確認しているのではないかと。

嫌いなはずの対象が、自分の心の一部になっている。

不幸ではないでしょうか。

何が幸せなのかは、人それぞれの心のなかにしかありませんので、私からとやかくは言えないのですが。

ただ、嫌いな対象がこんなに酷いことをしている!俺の嫌いな気持ちを共有してくれ!!とSNSなどでやられてしまうと、こちらの目にも入ってしまうので、それは止めて欲しいなあ、と。

私個人としては嫌いなものはなるべく見たくないので、視界に入ったら、黙って目を背けます。

自分からは、大きな声での「嫌いの共有」は控えたいと思います。




異界に転生して世界とか救っちゃうお話・・ではないけど。

本日のお題はこちら。

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

※内容についてのネタばれを含みます。未読の方はご承知のうえ以下をお読みください。


読む前は、こんなお話かと思っていました。


バッタの研究で博士号を取ったものの、就職の道が険しいため遥かアフリカのモーリタニアへ・・

科学の力で人々を苦しめるバッタの大群を退治して国を救済して英雄となり、大統領から名誉ある「ウルド」のミドルネームを授けられる・・



・・違いました。

「バッタを退治する画期的な方法」はさっぱり本書内には出てきません。

そもそも、なかなかバッタに出会うことはできず、フランスへ行ってファーブルの生家を訪れて感激したり、

日本へ一時帰国して京都大学の研究員面接に行ったり、

雑誌編集者と出会ってweb連載をもらったり、

ニコニコのイベントに出たり。

まだ研究は途中なのでしょうし、異世界冒険譚として最高に面白いので問題ないかと。

いちばん印象に残ったのは、バッタを観察する前に殺虫処分されないようにお願いするため、スタッフたちに丸々一頭のヤギをプレゼントし、一緒に食べて人々の心を掴む場面です。

夢をかなえる人っていうのは、こういうふうに行動して人々に支援されて目指す所へ辿り着こうとするんだな、と。

見るものすべてが新しい子どもの頃のワクワク感、思い出させてくれる一冊でした。

まだお読みになっていない方もぜひぜひ。


匿名の金融資産としての現金は廃止できるのか?

本日のお題はこちら。

現金の呪い――紙幣をいつ廃止するか?

現金の呪い――紙幣をいつ廃止するか?

捜査機関や税務当局は、「お金の流れ」に対して目を光らせております。

今日、金融機関の窓口で取引口座を開設しようとすれば、厳格な本人確認を求められます。
そして、本人確認済みの預金口座に出し入れすれば、どこの金融機関の窓口で、何年何月何日何時に、いくら入出金したかが明確に記録されてしまいます。

犯罪による非合法な収益や、ビジネスそのものは合法的なものであっても、売上隠しなどの脱税行為による「お金の流れ」は、当局の目からは隠しておきたいものでしょう。

預金口座を通してしまえば、「お金の流れ」は銀行の電子的な帳簿にすべて記録されます。
当局は、法律で与えられた権限をもって、容易に「お金の流れ」を把握でき、犯罪収益や脱税資金を隠すことは難しくなってしまうわけです。

しかし、「お金の流れ」を隠す最強の手段があります。

現金、それも高額紙幣です。日本では、1万円札ですね。
何かの代金として現金を渡すとき、売り手も買い手も、本人確認は求められません。
完全匿名です。
現金を受渡しても、どこの帳簿にも記録されません。
当局が調べようと思っても、どこにも記録されていないわけです。

麻薬取引をする際、代金を銀行振り込みにする犯罪者はいないでしょう。
麻薬売買は、現金で決済されます。
脱税を図る店主が、客から代金を現金で受け取れば、売上の記録はどこにも残りません。
隠しておいた現金は、腐ることもありませんし、いつまでも保存しておけます。
昨今はずっとデフレ基調ですので、インフレによる目減りも心配ないですね。

本書では、高額紙幣が残ることによる脱税や犯罪取引の様々な弊害を挙げ、「現金の廃止」を提言しております。
ただし、すべての現金を即時に無くしてしまうのではなく、少額の現金(1000円札やコイン)は残し、段階的に電子化していこうというものです。

日本はGDPに対して高額紙幣が出回っている額が大きく、相当程度の地下経済が存在しているものと推測しております。

本書では、もう一つ、「ゼロ金利で元本保証の匿名金融資産」である現金が、中央銀行の金融政策への大きな制約(特にマイナス金利政策の効果を減殺)として機能していることも論じられています*1

ふだんからお財布に入っていて、当たり前に使用している「匿名・ゼロ金利・元本保証」の金融資産としての現金。

その現在と未来について、考えることができる知的刺激に満ちた一冊となっております。

引用とコメントはこちらもご覧ください。
twitter.com


*1:私個人としては、金融政策への制約としての現金の存在に関心が強いのですが、かなり専門的な分野となりますので、本記事では詳しく書きません。

youtube無料動画で鮮やかな会計理論ROE講義を聴こう!

youtubeで無料で学べる会計理論の講義をご紹介いたします。

大阪大学大学院准教授、村宮克彦先生による「理論解説 会計の概要とROE」です。


「理論解説」会計の概要とROE(1/2)

「理論解説」会計の概要とROE(2/2)


昨今、大学・研究機関などが配信する無料動画もずいぶん増えてきました。

その中にはブツ切れで中途半端だったり、どういう人を対象にしているのかよくわからない水準のものも多く、なかなか「当たり」がありません。

村宮先生の「理論解説 会計の概要とROE」は、企業経営者、あるいはこれからビジネスの世界に入ろうとする方々に向けて、簿記会計の知識がまったくなくても初歩から会計を学べる講義で、久しぶりに「当たりだ!」と思えるものです。

会計が社会でどのような役割を果たしているのか、ということから始まり、貸借対照表・損益計算書の構造の説明を経て、昨今話題になっているROEの理論の説明まで、90分の講義で解説を聴くことができます。

なかでも、「当期純利益が株主(だけ)に帰属するのか」「株主にとって良い会社とは?」という説明は実に鮮やかです

会計に詳しくない人に対しては、こう説明すれば理解してもらえるのかも!ということで目から鱗が落ちました。


絶賛しましたが、まだパイロット版ということで、いくつか。

スライドの文字が見えづらいです。先生のスムーズな説明があるのでスライドを読む必要はないのですが、特にスマホではほぼ見えません。
もう少し明るさや文字の大きさなど工夫出来るかもしれません。

90分という講義時間は忙しい実務家にとってなかなか一気に見るには長いです。
10~15分刻みで動画を分割すれば、視聴者が増えるのではないかと思います。


なお、こちらは「無料WEB経営学講座」WATNEYの一部ですね。
watney.co.jp



これから続きが配信されるようなので、楽しみにしております。





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