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カチンの森事件をめぐるウソと真実について。

本日のお題はこちら。

消えた将校たち―― カチンの森虐殺事件

消えた将校たち―― カチンの森虐殺事件

ドイツ占領下のロシア西部スモレンスク郊外、カチンの森で後ろ手に縛られ、頭に銃弾を撃ち込まれて殺害されたポーランド軍将校の遺体数千がドイツ軍の手によって発見された「カチンの森事件」の真相について書かれたものです。
独ソ両国は、互いに犯行をなすりつけあって宣伝を繰り広げましたが、その真相はソ連のNKVD(後のKGB)による組織的殺害でありました。


ソ連の捕虜になったポーランド軍将校約2万5千人のうち、97%がNKVDに殺害された。医師、弁護士、教授などの知識階級や技術者などポーランド社会の中核。将校の他に兵下士官でも法律職なども組織的に抹殺。
これは、スターリンが、国家としてのポーランドを二度と復活させないようにポーランド社会の指導層を絶滅させようとしたためであると考えられています。
本書は、1960年代、現地(スモレンスク近郊のカチンの森)に入ることもソ連一次文書も閲覧できない冷戦下でこれほどの証言と資料を集めて、ポーランド軍将校の組織的殺害がソ連NKVDの犯行であったことを証明しております。

捕虜になった将校2万人のうち助かったのはわずか400人あまり。うち、NKVDの宣伝教化で共産主義に忠誠を誓ったのはわずか10人ほど
ソ連は殺害をナチスドイツの犯行だとずっと宣伝しており、米英も嘘を知りながらソ連との戦争協力のために沈黙しております。

スターリンやベリヤらNKVDは、ポーランド将校を大量虐殺したことで辻褄の合わない苦しいウソを繰り返したこと、共産主義への「転向」工作もほとんど効果が無かったことを見てこれを「失敗」だったとし、後にシベリアに抑留した日本兵への工作や、朝鮮戦争における米軍捕虜への扱いを「改善」しております。*1

ロシア政府が正式にカチンの森での虐殺がソ連政府の組織的な犯行であったのを認めたのは1992年のこと。
それでも国家機密を理由にして犠牲者全員の最期について明かしているわけではありません(犠牲者2万強のうち、カチンの森に埋められているのは4000人ほどに過ぎません)。

ロシアもポーランドも共産政権は倒れ、真の和解をするためには真実を明らかにするしかないと訳者は結んでおります。

*1:国民性の違いも有りますが、日本兵への共産化工作はそれなりの成果も。

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