人間は監視されなくてもまじめに働くのか?
本日のお題はこちら。
- 作者: 田中一弘
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2014/08/29
- メディア: Kindle版
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昨今のコーポレート・ガバナンス改革の基底に流れる考えとして、「経営者は強大な権力を持っていて、ガバナンスの仕組みがなければそれを悪用して私腹を肥やす存在だ」というものがあるのかもしれません。
本書の著者は、そのように経営者を利己的な存在だと決めつけて扱えば、予言の自己成就のような効果が生じ、本当に悪の道に走るのではないかとも危惧しております。
それを防ぐために、良心を重視した日本的経営も提唱しています。
著者が本書冒頭で断り書きを入れていますが・・
この主張は科学的な統計調査によって裏付けられたものではなく、また、他者を説得しようとするものでもなく、あくまで著者の個人的な考えを述べ、読者に考えるきっかけになって欲しいとのこと。
人間は、監視されなくてもまじめに職務に取り組むものか、社内外でいろいろな事例にあたってきたものですから、私としても考え込んでしまいます。
「任せている」という表現で放置されていた担当者が仕事を隠したり手抜きしたりなどという事例はよく見かけます。
逆に、私自身も同じく「任されて」いて、特に監視されたりいないにもかかわらず、少しでも仕事を改善しようと日々努力していたりも。
生身の人間は、純粋な善でも悪でも無く、善悪の入り混じった存在だとも聞きます。
その善悪の割合は、他者からは窺い知ることはできません。
それを監視する必要がそもそもあるのか。
どういう手段を用いるべきなのか。
答えは、なかなか難しそうです。