他者の気持ちに寄り添うことは可能なのか、というお話。
小さい頃から、「他人の気持ちになって考えなさい」と躾けられてきたように思います。
実はこれはとても難しいことを要求しているのではないかと。
他者はどこまでいっても他者であり、自分とは違う存在です。
時々、「弱者救済」を職業にしている活動家たちが「弱者に寄り沿う」という表現を使っているのを聞くに違和感が。
そのような発言をする職業活動家は得てして、高学歴高所得の強者であることが多く、弱者自身とはかなり異なる存在であることが多いのではないかと。
職業活動家は、ある人を弱者と定義付けしたうえで、それを自分の方に引き寄せて、自分のために何かしているのではないかと、私には感じられます。
もちろん、そうではなく、本当に他者の気持ちに寄り添える聖者のような方もいるのでしょう。
私自身は大多数の普通の市民と同じく、聖者でもなければ、職業活動家でもありません。
境遇の異なる他者の気持ちを理解できるはずもない、ということをわきまえたうえで、何ができるのか。
そんなことも考えています。