すらすら日記。

すらすら☆

社会の中に「ここから先は弱い。」という線を引くという手段ではなく。

「税金は金持ちから取れ!」という声は、今でも広く賛成意見を集めるようです。

ただし、この金持ちという定義は人によりバラバラで、どうやら皆、「自分よりちょっと収入が多いか、自分より少し資産を多く保有している人たち」のことを指しているらしく。

年収1,000万円の人であれば、年収1,200万円以上の人には増税してもいいとかいう都合の良い主張をしていたりも。

自分から税金をもっと取ってくれ!という奇特な人はなかなかおりません。

逆に、「弱者には配慮すべきだ!」という声にも、表立っては反対の声は大きくはありません。

同じく、「弱者」という定義は曖昧です。

弱さの種類によっては、政府が、我々が選んでいる議員たちが作る法律に基づいて、いろいろ配慮してくれる場合があります。

収入が少ない。
 究極的には生活保護。そこまで行かなくても、住民税非課税のレベルであれば今度は政府が15,000円を配ってくれるようです。

働きたいのに子供を預ける場所が。
 これについても、不十分ながら支援策を競っている状態になりましたね。

家賃が高いからなんとかしてくれ。
 先日、デモがあったようですが、賛同の声はあまり聞かれませんでした。

モテない。
 少子化問題対策の一つとして行政が異性との出会いの場を設けてくれることもあるようですが、最終的に選ぶ/選ばないを決めるのはその人同士なので、配慮は最低限かもしれません。

気になるのは、いろいろな「弱さ」について、「あなたは弱いので配慮を受ける側ですよ」という線引きをしてしまうと、自分は弱くない、税金で支援されるなんて嫌だという人々が出てきてしまうことです。

もちろん、そんなの気にしない、貰えるものは病気以外なんでも貰うという人々も多いのですが。

得てして、本当に配慮が必要な人々は、恥の気持ちからか我慢してしまって、線引きの向こう側へ行くことを嫌がるのではないか。

また、「ここから先は強いからお金と労力を出す方」ということになれば、自分たちはもらえないのに出す一方か!ということで反発したり、配慮される方を恨んだり差別したりする気持ちが起きてしまうかもしれません。

本当は、一生涯に渡って、配慮を受け取るだけとか、配慮を出し続けるだけということは無いはずです。
生まれたばかりの赤ちゃんの時は、誰かの配慮を受けなければ生きていけません。
大人になり働いて自分の糧を自ら得られるようになっても、病気や怪我の時は誰かに助けてもらっています。
年老いて働けなくなれば、やはり別の誰かの配慮を受けるでしょう。

いえ、それだけじゃなくて、授受の損得だけではなくて、生きているだけで尊重されるのが当然だと。
「いつか自分も配慮を受ける側になる」だから、今は助けるというのではなく、この世に生きているだけ、ただそれだけで同じ人として尊重される。

みんなが聖者のように思いやりを持つのは不可能ですし、ベーシック・インカムのような大掛かりな仕組みを作るのも今すぐにはできそうもありません。

「ここから先は弱い」という線を引かないで、相互に足りない部分を助け合えることができて、出すのは当たり前で、受け取るのも恥ではないというような社会になれればいいのかな、とも。

一人ひとりができることは、何かあるのでしょうか。

そんなことも考えております。

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