すらすら日記。

すらすら☆

「味方の選び方」にかかる最後の一線を守ることについて。


世の中には、経済政策のあり方、エネルギー政策、男女の平等、教育への公費投入の程度、移民の是非など、意見が対立する様々な問題があります。

昔はマスコミや学識経験者だけがその問題点に関する議論に参加できました。
でも、昨今は市井の人々もSNSやブログで気軽に意見を言えるようになり、web上では毎日のように対立する問題点について、様々な議論がなされているようです。

自由な議論こそが、抜き差しならぬ対立があって、妥協は不可能であるかのような問題点について、再考と歩み寄りによる解決策の合意を得ていくきっかけになるのではないかと思います。

ただ、その議論を眺めていると、自分の意見を正当化したいのか、多数派の獲得を目指すためなのかはわかりませんが、味方にしてはならない・仲間となってはいけない人々を引き入れている例が多くみられます。


原子力発電に反対だから、暴力革命を公然と主張する極左テロリスト集団を仲間にする。

ある経済政策に反対だから、妄想にとりつかれてデマを繰り返す元官僚の評論家と行動を伴にする。

移民に反対だから、外国人差別と暴力による排斥を主張する極右活動家の意見を引用する。

たまたま自分と意見が合わない政党を批判する記事が載っていたから、デマと誇張と印象操作ばかりやっているwebニュースサイトを論拠とする。


自由な議論における意見は、「誰が言っているかではなく、何を言っているか」でその価値が測られなければならない、というのは尊重しなければならない原則だと思います。

しかし、上に挙げたような「味方」「仲間」を得て、自分の意見の正しさを主張したとしても、多くの人々に賛同してもらえるとは思えません。

本来は自由な言論による説得と合意により問題解決をはかっていくべきなのに、問題解決には関心がなく、暴力・捏造・印象操作によって政治的・経済的な利を得ようとする勢力というのは実在します。

暴力、捏造、印象操作を常習とする勢力と仲間になることで、合意による解決の道を捨てようとしていることに気付かないのでしょうか。

また、意見を異にする人々、中立な人々から広く賛同と合意を得ようとするとき、そのような「一線を越えてしまっている人々」と仲間であることが、著しく、意見の信頼性・説得力を低下させていることにも無頓着なのかもしれません。

なかには、暴力的な言動を行うこと自体が目的になっている人々すらおります。

私は、自分の意見とたまたま合っているからといって、仲間として扱ってはいけない人々を見極め、最後の一線は守っていきたいと思っております。


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