すらすら日記。

すらすら☆

なぜ金持ちはより多くの税金を払わなければならなかったのか?

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金持ち課税――税の公正をめぐる経済史

金持ち課税――税の公正をめぐる経済史

税金というものは古代より存在しますが、所得税は19世紀頃からの新しい税金です。
当初は所得のせいぜい3%程度しか課されていませんでした。
しかし、20世紀に入って急激に税率が上昇し、最高では限界所得(追加で得られた所得)の80~90%まで課されるようになりました。

そこには、こういう考え方が背景になっています。

税金は、金持ちがより多くを負担すべきだ。

本書は、なぜ「金持ちが税金をより多くを負担すべきだ」という規範が社会に広く受け入れられたかについて、仮説を立てています。

制限選挙から男子普通選挙に移行するという民主主義の発展により、多数派である貧困層が自分たちに有利な累進課税を選択したのではありません。

英国では徐々に選挙権が拡大し、投票できる貧困層が増えても、所得税の税率は変わりませんでした。

社会の貧富の格差が大きすぎるから、それを是正するために金持ちに多く課税して平等さを得ようとしたのでもありません。

19世紀末~20世紀初頭の貧富の格差は今日よりもはるかに大きく、社会には多くの悲惨が満ちていましたが、これも所得税の税率引き上げには結びつきませんでした。

著者が立てた累進課税のきっかけは、総力戦である第一次世界大戦です。

戦う国家同士は、それぞれ数百万人の国民を兵士として徴募して戦線で対峙します。
一回の会戦で夥しい砲弾を消費し、数万人の兵士が死傷する。
それまでの限定的な戦争では比較にならないような戦費が必要になりました。

総力戦においては、多数の貧しい国民が徴兵され、兵士として命をささげることになりました。
そこで、実際には戦場には行かない富裕層=金持ちも、平等に国家のために犠牲を払うべきだ、つまり富に対しての徴兵を課されるべきであるという合意がなされ、累進課税という制度が選ばれたのだと。

本書では、所得税率の推移を選挙制度の改定や各種統計データ、議員の法案審議の発言まで広く集めて分析し、民主主義の進展や貧富の格差は累進課税をもたらさず、総力戦こそがその背景であったことを論証しています。

第一次世界大戦よりもさらに広範な動員と破壊、殺戮が行われた第二次世界大戦を経て税率は上昇し続け、最後には追加で得られる所得の90%も課税されるようになりました。
ほぼ、稼いだ全額を国家に召し上げられてしまう時代もあったわけです。

しかし、周知のとおり、戦後の復興と経済成長が終わり、サッチャーレーガン政権の誕生などを契機に超過累進課税の税率は下がりはじめました。

わが国も同様でして、所得税最高税率は40%まで下げられました。
最近、ようやく45%に再度引き上げられましたが、戦後すぐの9割課税には及ぶべくもありません。

本書では、税率引き下げの大きな要因として、総力戦の時代が終わって、国家のために平等に犠牲を払うべきという考えが後退してしまったことを挙げています*1

金持ちがより多くの税金を払うべき。

では、それはなぜ「公正」なのか。

今日、累進課税を主張する者は、この問いに万人が納得できるだけの答えを出せていません。

本書は、どのような税制が望ましいなどのあるべき論には展開していきません。

それは、我々一人ひとりが考えるべき問いなのでしょう。
どのような税制が「公正」なのか、本書を読むことで考える示唆をえられることと思います。


*1:もちろん、累進課税が能力がある者が懸命に働く意欲をそいでしまうのだ、フラットな税率こそが経済成長に資するという「思想」も要因として挙げています。しかし、この思想ははるか20世紀初頭から存在するが広く支持されることはなかったとも。こちらの影響については著者は結論を留保しています。

どこかで聞いたような「思想」の呪縛について。

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10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

話題のお二人の対談本ということで、ちょっと読んでみました。
対談をライターが書き起こしたものらしく、厳密な論理で書かれているわけではありません。

自由気ままに思いついたことを言い、編集者がうまくストーリーに落としているのでしょう。

この編集手法そのものはよく使われていますので、特に批判はいたしません。

本書の内容そのものについては、既に多くのレビューが書かれていますので、詳しい内容紹介や要約などは繰り返しません。

ここでは、ちょっと気になったポイントだけ。

いつもこのお二人は「自由に生きろ」「既成概念に捉われるな」などと主張しています。
読んでいて、面白いな、オリジナリティがある考えだなと感じられる部分もあります。


ただ、どこかで聞いたことがあるような記述もチラホラ。

「市場原理にまかせれば上手くいく、保育園も水道も民営化すれば効率化できる」

「公務員はAIでぜんぶ置き換えできる」

「大学の授業料は無料化すべきではない、やる気のある人を選別するためにオンラインサロンのように授業料を取って市場原理でやるべき」

など。

これって、よく竹中平蔵氏あたりが真顔で主張してそうな既存の「思想」であり、ステレオタイプの非効率な公務員像を前提にしているような。

「俺は世間の常識には囚われていない、先が見えている」と語るお二人ですが、見事に世間のステレオタイプのイメージを公務員や社会インフラを担う人々にぶつけている場面がチラホラと。

自由に生きろ、やりたいことをやれとさかんに煽りますが。

お二人に感化されて、みんなが自由に生きるようになったら。

交通、電気、水道、決済システム、治安維持など社会の公共インフラを提供している人々の顔が見えてきません。

誰がこの「つまらない仕事」をするのでしょう。

あっという間にAI?に置き換えられるとは思われません。

結局、程度の差はあれ、人々は既存の思想の呪縛からはなかなか自由になれないようです。

このお二人の行く末とその予言があたるかどうかは、注目しておこうと思います。


経済合理的に動く麻薬カルテルと対決するためには・・

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ハッパノミクス――麻薬カルテルの経済学

ハッパノミクス――麻薬カルテルの経済学

失敗には死で報いる残忍なボスが君臨する麻薬カルテル
映画などで流布するイメージです。

しかし、逮捕されたカルテルの元構成員へのインタビュー調査によれば、「裏切り」は死で報いられますが、「失敗」は意外にも赦されるとのこと。
これは、違法行為で常に警察・軍に追われ、敵対組織との激しい抗争からも取引は不確実で、新しい構成員のリクルートも困難であることから、失敗する度に「処刑」していたのでは組織が成り立たない、との推測です。

また、中南米~メキシコなどの一部の政府の統治が及ばず、麻薬カルテルが事実上支配している地域では、麻薬カルテルはただ暴力と恐怖で市民を威圧しているのではなく、無秩序な収奪をせずに規律を持って「税」(みかじめ料)を徴収して治安を維持し、老年者には「年金支給」すらしている、と。

組織のイメージアップのためにマスコミを抱き込んで自分たちの「ブランド」を作り上げ、敵対組織を悪しざまにいう宣伝をしている。
そのため、麻薬王は市民からヒーローのように崇拝を集めている。

また、必要とあれば対立する麻薬カルテルと休戦したり、地域分割の不可侵協定を結んだりもする。

麻薬カルテルは意外に「経済合理的」であり、その行動は多国籍企業の活動に似ている、と。

これに対し、メキシコの「麻薬戦争」宣言のような武力弾圧・強硬策ばかりの警察・軍当局の姿勢は、莫大な費用をかけている割に効果があがらず、むしろ市民が巻き込まれて被害を受けたり、カルテル同士の抗争を激化させ死者を増やしてしまっているとも。

本書後半ではネットの発達による闇サイトでの麻薬や脱法ドラッグ販売の様子も書かれています。
「評価」や口コミでの闇売人のランク付けなど、一般のインターネットショッピングと変わりません。

ちらりとしか述べられていませんが、「安全な」麻薬を合法化してしまえば、麻薬カルテルの存在意義はなくなってしまう。
経済合理性を考えるならば、殺人、誘拐、恐喝などの原因となっているのは麻薬が「非合法」であるため。
「誤用」して死に至るような脱法ドラッグが売られているのも同様です。

本書は、麻薬合法化の是非そのものについては詳しくは述べられていません。
経済合理的に行動している麻薬カルテルや闇サイトと対決するためには、武力行使や強硬策だけでいいのか。

麻薬のみならず、「社会的に望ましくないが、人間の欲望がある以上、根絶は難しい」とされるさまざまな事象への対処方法を考えるために面白い書であると思います。


周囲とはちょっと違う自分を確認するために。

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憎しみに抗って――不純なものへの賛歌

憎しみに抗って――不純なものへの賛歌

「自分とは違う存在」を作り出して攻撃するという風潮がみられるようになっています。

私自身は、日本人で、男性で、正社員で、異性愛者で、専業主婦の妻がいて、子供が二人いて、政治的には極端な意見は持たず、特定の宗教に強い信仰を持つわけではなく、世俗的で、それなりに自由と民主主義の価値を信じている。

この社会では多数派なのでしょう。
それでも、世間一般で人気があるサッカーやゴルフには関心を持てないし、職場の人たちと飲みに行っても話題がなくて苦痛だったり。

表面的な属性では多数派でも、細かいところでは「違う存在」として疎外感や差別の目線を感じたりすることもあります。

同調圧力を受けることもあります。

なぜ、違う感覚を持っているのか、と。

著者はこう述べております。

公共の場での多様性が目に見える限り、そして私自身の個性と望み、ときには他者と違う信条を持つ私という個人の自由が守られていると感じる限り、安心していられる。自分の生きる社会が多様な人生の設計、信仰、政治信条を認め、受け入れてくれると感じていられれば、少しばかり強くなれる気がする。

本書は、ドイツで難民を乗せたバスを市民が取り囲んで罵声を浴びせたクラウスニッツ事件など、AfD(ドイツのための選択)などの排外主義政党の台頭など、ドイツ・欧州で起きている「自分とは違う存在」を作り上げて攻撃するという事態を背景としています*1
私は断片的なニュースでしかこのあたりの情報を知らないため、しっかりと理解できたかは怪しいところもあります。

「みんなと同じ」であるとして安心したい人々がたくさんいるのでしょう。

でも、私自身も社会の多数派でありながら、周囲とは自分が違う存在であることも知っています。

実は、「均一な多数派」なるものは虚像で、そのなかのそれぞれの存在は、誰一人とて同じ人間ではない。
自分を確認するためには、他者もまた違う存在であることを個々に認識していくしかない。

欧州の政治文化的背景が知らないと、ちょっと理解しづらい文章もありましたが、本書でそんなことを認識することができたように思います。


*1:本書は、ドイツでの難民排撃だけではなく、ISのリクルートや教育訓練の仕組み、白人警官による黒人の暴力、性的少数派への差別の話なども述べられています。

糾弾されているのは、自分ではありません。

毎日、心がザワザワするようなニュースが流れています。

私とて人並みの正義感はあるつもりですので、望ましくない行動をした人物や組織には「いかんなあ」ぐらいの感想は抱くわけです。

問題は、その次です。

報道を聞いて怒りを募らせた人々が、その「アレな行動」をやらかした当事者だけではなく、その当事者が帰属している集団、業界、世代、民族、国などの「大きなもの」がそれと同一の「悪」であり、同じく糾弾されなければならない、と。

対象が大きくなれば、帰属している個人はどんどん増えていきます。


バブル世代が無能だからだ。

銀行員は全員、陰湿な連中ばかりだ。

男だから、甘やかされているんだ。

日本は地獄のような国で、黙って耐えている日本人は奴隷だ。


私が帰属している属性も、よくこうやって糾弾されています。

以前は、そういう一般化された言説に感情的な反発をして、言い返してしまったこともあったように思います。

でも、ザワザワするニュースが流れる度に同じパターンでの糾弾が繰り返されることに気づいていから、反応してはいけないな、と思い直しました。

叩きのめされてる存在は、怒っている人の目の前には実在しているかもしれません。

あるいは、その正義の人の心の中に作り出された虚像なのかも。

いずれにせよ、それは私ではありません。

怒りに怒りで返せば、同じ場所で回転しているだけです。

私は、私にできることをしようと思います。


言葉の正確な用法と、専門外の人々への態度について。

厳密な定義がある専門用語が存在する会計や税務の仕事に長いこと就いておりますので、間違った言葉の使い方をされるととても気になります。

制度会計では、不特定多数の投資家に対して財務報告の開示を行いますので、投資家が誤解や誤誘導をしないように厳格な言葉の使い方をせねばなりません。
ある事象・ある取引に対しては対応する専門の言葉があり、決まった用法で使わなければならないので、言葉の用法にはとても気を使ってきました。

会計や税務に限らず、専門外の人々にとって、似たような言葉の厳密な区分はわからないでしょう。
その言葉の用法が不正確だからといって、専門従事者と同水準の厳格さを求めるのは、酷であるというものです。

専門外の一般の人々が、不正確な言葉の使い方をしているとして、専門従事者があからさまに無知を嗤ったり罵倒したりすれば、その分野に触れることに対して萎縮効果が起きてしまったり、その専門従事者や分野そのものへの反感を惹起したりしてしまうのではないでしょうか。

ただ、弁護士や大学教授などのある分野の専門家が、その肩書を使って他の分野へ訳知りのコメントを出したり、多数の読者を持つ大新聞が間違った言葉の使い方をしていたら、これはその「権威」により多くの人々へ影響を与えてしまうので、専門従事者から厳しく批判されるべきでしょう。

たとえば、会社法専門の大学教授が、TVに出演して専門分野外の法令や制度に無知と誤解に基づくコメントを出したり、経済を専門とすると称する新聞が「繰り延べ税金資産」「積み立て不足」などという存在しない用語を繰り返し使用したり。

こういう場面では、的外れなコメントや誤用は厳しく批判されなければならないと考えます。

でも、大きな影響力を持たない一般の人々が、ちょっと背伸びして専門外のことへちょっと触れたら、その道のプロが誤用を正すために飛んできて「バカだ」「無知だ」と罵倒すべきなのでしょうか。



私の知っていることなど、世の中のほんの一部しかありません。

自分の専門外のことはいっさい触れてはならない。

そうなってしまったら、ずいぶん息苦しい世の中になってしまうのではないかと思います。


「12歳でも財務諸表が読めるようになる」会計入門書のご紹介。

本日のお題はこちら。

会計の知識が欲しい、財務諸表を読めるようになりたい、数字に強くなりたいというニーズは多くの人々にあるようです。
巷には、これに応えようと「会計入門」「これだけでわかる」と銘打った会計入門書が多数出回っておりますが・・わかりやすくし過ぎて漠然とした内容しかないもの、細かい会計用語や財務分析指標の説明だけに終始して全体感が掴めないものなども多く、外れを引いてしまうと会計嫌いになってしまうことも。

また、会計知識習得の大きな「壁」である複式簿記について、仕訳という反復練習をしなければ習得しにくい技術をなんとかわかりやすくしようとして意味不明になってしまっているものも多いですね。

本書、「会計の基本」、「借金を返すと儲かるのか?」などの会計入門書を書かれている公認会計士・岩谷誠治先生による「12歳でも財務諸表が読めるようになる!」という1冊です。

こちら、巷にあふれている会計入門書の上記の弱点を上手く克服、会計の専門用語や仕訳の技術を使わずに「会計ブロック」「似顔絵分析」で財務諸表の全体を手短に把握できるように工夫されております。

「借金を返すと儲かる?」というよくある誤解についても、借入金返済をテトリスのブロック消しにたとえて説明しており、仕訳を使わずに理解させる説明術に感心させられました。

他分野の方だけ、最低限、財務諸表が読めるようになりたい!というニーズを満たしてくれることと思います。

岩谷先生の会計入門書、こちらも合わせてどうぞ。
sura-taro.hatenablog.com


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