すらすら日記。

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戦場における隠したい事実と、誇張したい傾向について。

本日のお題はこちら。

兵士というもの――ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理

兵士というもの――ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理

兵士たちが故郷にあてた手紙、戦争が終わってから書かれた回想録には必ず「想定された読み手」が存在し、その記述には自己正当化や誇張が混ざり込んでしまいます。

戦場では当然のことである「敵を殺す」「敵かもしれない、敵になるかもしれない非戦闘員の市民を殺す」という行為は、読み手がいる一般社会では望ましくないされると兵士自身もわかっているため、手紙や回想録ではこれらは省かれていることが多いとも。

本書は、資料館に埋もれていた米英軍の捕虜となったドイツ国防軍兵士の会話を「盗聴」した膨大な記録を歴史研究者が発見し、整理分析したものです。

盗聴記録ですので、ここには兵士の本音、隠したい事実が赤裸々に語られています。
数々の戦争犯罪に手を染めたナチ武装親衛隊(SS)とは異なり、国防軍は正々堂々と戦った高潔な軍隊であったという「国防軍無罪神話」は、ここでも、面白半分に虐殺行為を繰り返し、それを自慢さえする国防軍兵士の会話記録から、嘘であったことがわかります。

興味深く感じられたのは、ドイツ国防軍兵士にとって戦争はまじめに取り組むべき「仕事」であり、その出来栄えを気にし、上手くいけば誇りに感じるというのは工場で何かを製造するのとなんら変わらないという点でした。

また、手紙や回想録では隠される非戦闘員の虐殺行為が、戦車撃破や敵船撃沈と同じく自慢話になっていたことでしょうか。

それに、盗聴記録と言えども、会話相手の捕虜仲間や、尋問する米英軍に対して、ドイツ国防軍兵士は繰り返し次のような話をします。

「圧倒的な物量の敵、無能な上官、乏しい装備にもかかわらず自分は奮闘し戦果を挙げた」

この語りはドイツ軍兵士だけではなく「仕事」がある場所では広く観察される、と。

今日においても、このようなパターンは、SNSや居酒屋での「武勇伝」でひろく聞かれます。

ひどく、誇張されて。

ドイツ国防軍兵士は、特別に残虐な人々であったわけではありません。

2段組みで数百ページに及びますし、ナチズムや第二次世界大戦についてある程度前提知識がないとなかなかに読みづらいかもしれませんが、人間というもの、兵士というものが何を考え、どう行動していたのか。

現代の平和な社会とあまりに変わらない営みに気づかされる書であると思います。


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