ソビエト赤軍による東欧諸国の「解放」の実態について。
本日のお題はこちら。
- 作者: アン・アプルボーム,山崎博康
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2019/02/23
- メディア: 単行本
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1945年、敗走するドイツ軍を追ってソビエト赤軍は進撃し、次々と東ヨーロッパ諸国を「解放」しようとします。
ハンガリーのホルティ提督は、ソビエト赤軍が接近するとドイツとの同盟離脱を模索しますが、察知されてファシスト政党である矢十字党にとって代わられてしまいます。
ポーランド国内軍はソビエト軍のワルシャワ接近をみて、独力で祖国を解放するために蜂起します。
米英軍の細々とした空輸は得られたもののソビエト赤軍は停止・傍観し、ポーランド国内軍は敗れ、ワルシャワはドイツ軍によって完全に破壊されてしまいました。
このような経緯を経て、ソビエト軍は東欧諸国の「解放」を達成してしまいます。
その「解放」に際しては、賠償名目で工場設備の根こそぎロシアへ運び去られ、市民の腕時計は巻き上げられるという公的・私的な略奪とともに、女性に対する組織的な性的暴行が行われ、市民はソビエト赤軍への深い恨みを抱いてしまいます。
現地のファシスト党や権威主義的政府は追放され、かわってやってきたのはモスクワで訓練された共産主義者たちでした。
1945~1946年頃は、東欧諸国でも複数政党制が認められていました。
モスクワ帰りの亡命共産主義者たちは、警察やラジオ、出版に必要な紙の割り当てなどを掌握して選挙宣伝では圧倒的に有利な立場を手に入れます。
選挙を行えば、労働者たちはその階級的立場から、祖国解放と土地改革にも感謝して共産党に投票してくれるはずだ(マルクス・レーニン主義のイデオロギーからすればそのとおりなのですが)、素朴にも信じておりましたが・・戦前からのロシア、ボリシェビキへの警戒、略奪暴行の記憶から、共産党はせいぜい10~15%程度しか得票できずに終わってしまいます。
これをみて、ソビエト赤軍という強大な武力を背景に、徐々に東欧諸国はソ連の政治システムを移植されていきます。
複数政党制は完全に形式だけになり、秘密警察による密告網がつくられ、教会や青年団体への介入と弾圧、モスクワ帰り共産主義指導者を「ミニ・スターリン」として崇拝すること、「裏切り者」への見世物裁判*1・・こうして、1950年頃までに東欧諸国は鉄のカーテンの向こうにある閉ざされた独裁国家になってしまうことになります。
本書は、東ドイツ、ハンガリー、ポーランドについて、その「解放」がどのようになされてきたのか、ソビエト化、共産化がどのようになされていったのかを未公開資料の調査や当事者への豊富な取材も踏まえて詳細に記述しています。
1953年、独裁者スターリンは死去。
続くフルシチョフの秘密報告(スターリン批判)により、東欧諸国では反ソ暴動が発生します。
「行き過ぎ」と「個人崇拝」を咎められた各国のミニ・スターリンは失脚し追放されたりはしますが、暴動はソビエト赤軍により無惨に鎮圧されてしまいます。
その後、東欧諸国は「嘘のイデオロギーを嘘とわかりつつ信じているフリをする」、窒息した国として生きていくことになるのですが。
秘密警察と監視、密告、嘘のプロパガンダによるソビエトモデルは、その後アジア・アフリカ諸国にも「移植」されていきます。
ロシアではスターリンの再評価と都合の悪い歴史文書館の非公開化なども進み、中国ではサイバー監視国家として新しい独裁と監視が進む今日。またこの東欧諸国「解放」の歴史を振り返ってみるのも興味深いと思われます。