すらすら日記。

すらすら☆

普通の人びとによる「普通ではない行為」による不安について。

本日のお題はこちら。

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

ナチスによるユダヤ人大量虐殺について、その原因を探るために多くの研究がなされてきました。
ナチズムを「狂気だ」とだけ断罪しヒトラーやナチ親衛隊幹部の個人的に残虐性を好む資質だけに帰結させる。
あるいは、ナチズムはドイツ史の自由を重視せず抑圧的な同調を強いる社会のなかからこそ生まれてきたものである。

最初はそのような「説明」がなされてきました。

それとは異なる、自分たち普通の人間があのような虐殺行為を繰り返すことはない。
そう安心していたこともあったようです。

本書の研究対象である第101警察予備大隊は、前線で兵士として戦うには年を取りすぎている中年の召集警官たちで構成されていました。警官たちは主にハンブルグで召集された中下層の労働者出身であり、ナチズムの人種イデオロギーを注入された熱狂的なナチ親衛隊員ではありません。

しかし、この普通の人びとで構成された警察大隊は、数万人のユダヤ人を直接に射殺し、あるいはトレブリンカ絶滅収容所へ送り込むことに。
大隊長の少佐が、射殺行為に耐えられない者は参加しなくともよいと命令には添えたにもかかわらず、警官たちの8割以上は虐殺行為に参加します。

命令には従わなければならない。
同僚の警官の前で無様な姿を見せるわけにはいかない。
男らしくないと思われたなくない。
自分が射殺命令を拒否すれば、誰かが代わって射殺をしなければならない。
「良い仕事」を認められて警官として出世したい。

動機の多くはこんなものでした。

ごくまれに、ナチ親衛隊も顔負けな残虐性を発揮し、殺人行為そのものを「楽しむ」ような人物もいましたが、それは例外。
多くの普通の警官たちは「仕事」として嫌々ながら、だんだん慣れていって虐殺行為を繰り返しました。

命令違反に対する処罰に対するおそれもあったことでしょう。
しかしながら、射殺拒否した警官たちは別に処罰も受けていないのです。

普通の人々から構成された警官隊が、こんなにも簡単に大量虐殺を行ってしまう。
拒否したのは、わずか1割~2割弱程度。
ナチは狂信的な異常者だ、あるいはドイツ史固有の要因によりこのような虐殺が起きたという「安心できる」説明とは異なり、この警察大隊の行為に我々は不安を感じてしまいます。

今日、世界中で戦争と虐殺行為は続いており、自分とはちょっと異なるカテゴリーだと決めつけた集団へ、普通の人々の怒りをかきたてる様な扇動行為もあちこちで見かけます。

そういう人間の性質と、その行為に向き合わねばならないと感じさせられました。


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