「わかっている」という演技を強いられるお話。
世界を構成している事柄に関する知識は果てしなく膨大で、生身の人間がすべて把握して理解するのは不可能であると思われます。
せいぜい、身の回りの生活と仕事を形作っている事についてだけでせいいっぱいでしょう。
会社のなかで、管理職や、その上の役員とか社長とか呼ばれる方になれば、その仕事範囲もぐっと広がり、建て前では、部下の仕事を掌握していなければならないとされます。
実際には、それは難しいのですが。
しばしば、「何も理解していないな・・」と感じられる場面もありますが、理解しているというポーズを見せていれば、苦しい立場に追い込む必要もありませんし、黙っていることが多いでしょう。
また、家庭内に帰れば、家族がいます。
父親なら、子どもたちや配偶者の心配事や望みをしっかりと理解して、それに合うようにふるまわなきゃならない。
でも、実際には、表面的にしかわかっていないような気もします。
人は、何を理解していて、どこから先はわからないのでしょうか。
毎日、生きていても、世界が膨張して新しいことが次々と。
わからないという恐れを抱きつつ、わかっている演技をしていれば、いいのでしょうか。