大部分は「どこかで読んだ話・誰かから聞いた話」の繰り返しだけど。
時に暴力を伴う過激な政治活動に没入する青年活動家の言葉として、「本なんか読むと、自分の中の信念が損なわれるからいっさい読まない。それよりも行動だ」という趣旨の話を読んだことがあります。
青年活動家による「読書という行為」への批判は、元から自分の中に固定されている考えを確認・補強するためだけに読書をしている方を念頭に置いて行われているのではないかと思われます。
その活動家は、読書をしてこなかったわけではありません。
古今東西の万巻の書を読み、考え抜いて発言していたにもかかわらず、自らの政治信念を実現するためには、なんら無力であった。
その悔しさから、最初の言葉になったとも聞きます。
自分自身を顧みても、そのような読書の仕方をしている傾向は否定できません。
既存知識の確認・補強だけではなく、新しいことも知るために、まったくの未知のものへも触れるようにはしていますが、やはり、好きな分野・既知の分野が中心になっていますからね。
また、本を読んでいろいろ発言しても、それはその時々の切り抜き断片だけを引用しているだけで、自分で考えているわけではないのかも、と。
私がこうして書いている文章も、大部分は、どこかで読んだ話・誰かから聞いた話の繰り返しです。
でも、今だけは、一部だけは、自分で考えて、発言しているつもりです。
小さな一個人の行為としては、それくらいで限界なのかもしれません。
本日の参考文献はこちら。*1
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行動派のための読書術―よりよい<知的生活>のために (1980年)
- 作者: 鈴木邦男
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*1:冒頭の青年活動家は、鈴木邦雄氏ではありません。