マニュアル化と人工知能は、職人芸経理おじさんを駆逐するか?
私が企業会計実務の世界に入ってきた頃、経理の仕事はいわば「職人芸」でした。
その後、西武の有価証券報告書虚偽記載、ライブドア事件など、数々の企業不祥事の度に、法令による規制や証券取引所の自主ルールが整備されていき、経験と勘に頼っていた経理業務も、徐々に社内手続やマニュアルが整備され、「誰でもできる」ようになっていきました。
代表者確認諸制度や内部統制報告書制度もできて、それなりにまじめに取り組んだので、「有効な内部統制」が整うことに。
そのため、日常、定例的に発生するような会計・税務処理から、最終ゴールである短信、計算書類、有価証券報告書作成提出まで、ほぼマニュアル化され、財務会計や税務、制度開示などの細則に精通していなくても、平均的な事務能力を持つ社員なら誰でもこなせるように。
理屈を習得するために、分厚い会計監査六法や法人税基本通達を開くことも必要ありません。
世間では、いずれ企業会計などバックオフィスの管理業務は、すべて人工知能に置き換えられてしまうのだから、もはや人間は不要となるという論調が強いです。
マニュアル方式だと異例的な取引が発生した時に立ち往生してしまう!
あるいは、その取引が異例であること自体に気付かないで、マニュアル通りだけこなしてしまい、後から監査や税務調査で誤りを指摘される!
こんな風に反発する気持ちは、その実務を習得するための昔日の苦労を美化したい職人芸おじさんの抵抗なのかもしれません。
職人芸の経理おじさんは、マニュアル化された「有効な内部統制」で半分、不要になりました。
マニュアル化された中でスタッフが、企業会計原則レベルの知識すら怪しいのに、それなりに日々の実務をこなせてしまう現実と、異例取引に当たって混乱している現実も見つつ。
次に、人工知能が職場に入りこめば、職人芸おじさんを完全に駆逐してしまうのか。
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その未来を確認できる日まで、生きていたいと思っています。
父が娘に語るマイナス金利。
先日、日本銀行の黒田総裁が訪米した際、「マイナス金利拡大の可能性もある」と述べたことがTVで報道されていました。そのニュースを聞いて、父(すらたろう。銀行員)、母(専業主婦)、娘1(もう大人)、娘2(中学生)の会話です。*1
母「やだー。」
娘2「マイナス金利って何?」
娘1「わかんないかー。」
父「金利っていうのは、お金を借りた方が払うものなんだけど、今は逆に借りた方がもらって、預けた方が払わなきゃならないの。」
娘2「???」
父「ゲオとかで、DVDを借りるとレンタル料がかかるでしょ。金利というのは、お金を借りたときの借り賃のこと。日本銀行は、民間の銀行からお金を借りているのに、マイナス金利だとお金を貰えちゃうことになる!」
娘2「おー!DVDレンタルの話はよくわかる・・でも日本銀行って?」
母「日本銀行は、『銀行の銀行』なの。パパの勤めている銀行で余ったお金は、日本銀行に預けているのよ」
娘1「現代社会で習うかなー。高校だったかな」
父「マイナス金利、というのはパパのところの民間銀行が日本銀行に預けると、その一部がマイナスになっちゃう。つまり、お金を預けているのに損しちゃうということ。」
母「パパのギャラが下がるかもよー。」
娘1「なんで日本銀行はそんなことをするの?」
父「日本がずーっとデフレだから、それをなんとかしようとしているの。マイナス金利で損するくらいなら、お金をバンバン使え!って。デフレというのは、物の値段が下がっていくこと。」
母「みんながママみたいにお金をバンバン使えば、デフレなんか吹っ飛ぶのに!」
父「70代の老人が『老後が不安だから』ってお金を握って離さないから・・」
娘1「70代で老後が不安ってどういうことー!」
母「デフレで安く物が買えればいいと思うでしょ・・でもね」
父「勤めている人の給料は、みんなが物を買う時に払うお金から出ているの・・だから」
娘1「物が安くなる→売上が減るので給料を下げよう→物が買えない→物を安くしよう・・デフレスパイラル!!」
父「そう、デフレだと、どんどん首が締まってみんな苦しくなる・・」
娘2「値段を上げればいいじゃないの?みんな一緒に。」
父「日本は自由な国だから、国の命令で値段を上げさせることはできないの。カッパ寿司も90円にするってニュースに出ていたし」*2
母「バブル崩壊前はインフレだったのよー。」
娘2「???」
娘1「インフレは、逆に物の値段が上がっていくことね。マイナス金利は効いてるの?」
父「世の中の金利は確かに下がっているけど、デフレ解消にはほとんど効果がない・・だから黒田総裁はマイナス金利をもっとやるかも、とかいう発言をしている」
母「こんなニュースが出るとまた銀行株が売られちゃうねー。」
父「世の中のほとんどの人は、マイナス金利の意味がわからないと思うけどね」
娘1「本当に??」
父「世間の銀行員のほとんどは、マイナス金利の仕組みを説明できないと思う」
娘1「そんなにバカなの銀行員って」
父「いやいや、自分の直接やっている仕事はわかるけど、日本銀行とのお金の貸し借りの仕組みは理解できないでしょう」
娘1「えー。」
母「そんなものよー。パパだからわかるのよ」
娘2は、学校で習っている社会科はとても得意な科目ですが、まだまだわからないようです。なお、会話は少し整理しておりますが、「デフレスパイラル」も「銀行の銀行」も本当に言っています。
なぜ、マイナス金利がデフレ脱却につながるかという説明が、娘に上手く伝わって理解してもらえたかどうか。
というか、その仕組みについては、私自身が納得できる説明を聞きたいと思っております。
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悪い噂ばかり持って来る方への対処について。
世の中には、噂話が生きがいのような方がおります。
良い噂ならばまだ良いのですが、人の悪口や不幸な話を聞きつけ、それをまた誰かに広めることを日々の楽しみにしているような人物も観察されます。
「Xさんが職場で上役のYからいじめを受けて辞めちゃったんだって!Yって酷いよね!」
「Xさんと仲が良かった同僚のZさんがYのことずいぶん恨んでいるみたいだけど、Yは知らんぷりなんだって!」
などなど。
退職を余儀なくされたXさんに同情している、あるいは酷い上司のY氏に義憤を感じているのか。それともZさんに感情移入しているのかもしれません。
なぜ、噂好きの方は、わざわざあなたにその話をもってきたのでしょう?
あなたは、X、Y、Zの3者とも名前を聞いたことはあるが面識がありませんし、別の部署で働いているだけという関係です。
噂好きの方は、あなたに一緒にXさん・Zさんに同情し、Y氏を糾弾してほしいのでしょうか。
よく知らない方なので、同調を留保していると、噂好きの方は、あなたが一緒に義憤を感じない冷たい人だとして、また別の方へ噂話を広めていくかもしれません。
今度、噂話の中で糾弾されるのはY氏に加えて、あなたもです。
本当は、Xさんはやりたい仕事があって転職しただけなのかもしれません。Y氏のいじめなるものは、上司として当然指摘すべき、ちょっとした厳しい指導だけだったのかも。
Zさんの「恨み」なるものは、「Yさんってちょっとキツイよね」くらいの軽い感想をもらしたのを、噂として大きくしているだけということも。
事実はどうでもよくて、とにかく人の悪口や不幸な話が大好きな噂好きの方。
こんな困った存在、身近にもいるかもしれません。
そんな悪い噂ばかり伝えて歩く方へ、どう対処したらいいのでしょうか。
張り付いた怒り・不平・不満の仮面を剥がそうとするのは。
職場は「仕事」をするために集まっているわけで、黙って仕事だけしていればいい、というのは一見、正しいようにみえて実は効率が悪いそうです。
聞くところによりますと、もくもくと一人で作業しているよりも、雑談しながら進めた方がはるかにスムーズに仕事が進むとか。
コミュニケーションをとろうとしても、どこの職場にも、不満や不平の表情が顔に張り付いたような、いつも怒っているような顔つきの方がいないでしょうか。
いちばん偉い席に座っている部門の長や、長年そこにいるベテランの方とか。
あるいは、若い方でもそういう方がいるのかもしれません。
そういう表情だと、どんな人でも話しにくいですよね。
残念ながら、私の職場にもいつもそういう表情の方がいます。
私は自分からはプライベートな話もしないし、雑談もできていません。
自分から拒否しているわけでは無いのですが。
そういう怒り・不平・不満の仮面を付けた方だと話しかけづらいし、実際、話しかけてもあからさまな拒絶が返ってくることも。
何回か、試みましたが、その仮面は変わりませんでした。
その張り付いた怒り・不平・不満の仮面の原因はわかりません。
日常の私生活に原因があるのか。あるいは私のことが感情的に嫌いなのか。
それとも、会社で働くこと自体が嫌なのか。
その原因はわかるはずもありませんので、考えても不毛でしょう。
幸い、定期的に人事異動がありますので、何年かすれば人員は入れ替わります。
仮面を外そうとしない方に向き合っても疲れるだけですので、時が解決してくれるのを待つことにしようかと思います。
「苦しい」サインを示している方がいたら。
小中学生~高校生くらいまでは、家族と学校の人間関係がほぼすべてであり、そこのコミュニティに受け入れられない・つまはじきされると非常に苦しい思いをすると聞きます。
特に、学校の友人関係の同調圧力とかすさまじいもので、そこでは「みんなと同じ」じゃないと、体内から排除されるべき「異物」のように扱われるとか。
そこのコミュニティは、中学3年間、高校生3年間ですから、「合わない」と思ってもちょっとの間、がまんすればまた別の世界へ移れるはずのです・・しかし、そこの中にいて苦しい思いをしている「異物」扱いされている子は、そんなことは思いつかず、ただ毎日が苦しいだけだとも。
さて、大人になっても、たった一人では生きていけませんから、何かかしらの組織・コミュニティに入ることになります。
多くの人は、会社組織に雇われて働くことになるでしょう。
そこでは、やっぱり同調圧力が働きますが、仕事さえこなしていれば、ある程度は割り切って干渉してきません。
パワハラにもうるさいので、学校時代のような陰湿ないじめは起きにくいとも。
あちこちに支社・支店がある大企業なら、何か人間関係の問題があれば、引き離してくれますし、上司も部下も互いに定期的に人事異動がありますので、長くて3~4年もあれば「合わない人」とはおさらばできるものです。
でもやっぱり、人間関係で苦しんでいる当人にとっては、一日一日が10年にも感じられ、なんとかしてそこから逃げたくなるものと聞きます。
私個人も今は平穏無事な日々ですが、教えてくれる人もいない中での退却戦の激務で疲労困憊していた時期も。
そんな時、直属の上司じゃない別の上司、または別のところにも「苦しい」というサインを出したりしてたのですが、誰も助けてもくれなかったし、何も変化はありませんでした。
変わったのは、自分自身が少しだけ頑張って仕事を楽にできるようにしたこともありますけど、やっぱり外部環境の変化=周りの人が入れ替わり、何よりも退却戦が終わったからでしょう。
私だって、ちょっと道がずれていれば、精神をやられていたかもしれません。
昔のユニクロやワタミなど、音に聞こえるブラックな労働環境じゃなくても、ちょっと仕事がきつかったり、強い同調圧力のような人間関係に晒されれば、かんたんに人は壊れます。
その中に落ち込んでいる人には、そんな苦しいのは長くは続かない、本当に嫌ならば出ていけばいいというのは、外野だから、自分が生き延びたから言えるに過ぎないと思います。
「弱いからそうなるんだ」と言われた時は、それは絶対に違う、と強く否定しておきました。
身近に「苦しい」サインを示している方がいたら、何ができるのかはわかりません。
とりあえず、そのサインに気づく場所にいたなら、自分が何をしたらいいのか、考えてみたいと思います。
何かに捉われている生き方について。
SNSを見ていますと、他者の学歴や年収が気になって、来る日も来る日もその話題から離れられない方もおります。
あるいは、好ましくないと思っている政治党派の悪口ばかり繰り返している方。
また、延々と自分の好きなアイドルの女の子の話ばかりしている方もおります。*1
そして、話題はその時々で変わるかにみえますが、常に「攻撃できる対象」を探し、その相手に突撃してやりこめることを楽しんでいる方。
みんな、何かに捉われて生きているようです。
一歩、離れて他者からみれば、執着している対象にそこまでの価値があるのかは理解できません。
でも、その人にとってみれば、そのことからは離れることができない大事なものなのでしょう。
生きていると、不確かなことばかりです。
とりあえず、明日明後日くらいまでは今日と同じ日が繰り返されるのは間違いなさそうですが、その先は、誰にもわかりません。
足元も不安定だし、手を掛けて掴まる場所もありません。
だから、何かに捉われて、それに依存しているのかもしれません。
とりあえず私は、依存できる対象を見ている間だけは、安心しています。
ここを読んでいる方は、なにものにも捉われず、自由に生きているでしょうか。
*1:私のことですね。
世の不幸は、「選択して」受けとめています。
世の中では、今日もどこかで心無い言葉で傷付けられたり、酷い運命にあって怪我をしたり、はたまた不運にも若くして死んでしまったりする方がいます。
TVではそんな「かわいそうな出来事」をわざわざ盛り上げる効果音楽までくっつけて、繰り返し流してきます。
インターネットでも、そんなニュースが取り上げられ、SNSではみんな同情したり、怒りをみせたり、たくさんの方から発露された感情の波が押し寄せてくることも。
また、身近な職場や家庭でも、「こんなひどい仕打ちを受けた」「こんな信じられない振舞いをする人がいた」というような愚痴や憤慨の声を聞かされることもあります。
これを全部、正面から受け止めて悲憤慷慨し、同情して感情を揺すぶられていたら、自分自身まで、傷付いて疲れきってしまうことと思います。
なので、家族とか、大切な友人であるとか、そんなごく限られた方の声だけには共感して同情したり、怒りを共有したりして、慰めの言葉を掛けたりもします。
そして、それ以外の方々の運命について、いちいちは受け止めず流してしまうようにしてます。
冷たい、のかもしれません。
でも、自分の心が受けとめられる範囲・量はごくごく小さいようです。
自分までが壊れてしまわないように。
受けとめて共感する不幸を小さく選択することで、身を守っています。