「詰められないおじさん」は、社内では無敵の人ですが。
「詰める」という文化は、金融業独特なのでしょうか。
詰める、とは、手数料収入などの営業目標が未達成の担当者に対し、上司・先輩が・・
「あと見込客はどのくらいあるのか」
「明日の見込みはいくらで、明後日はどのくらいなのか」
「足りない分は、どの客層を当たって掘り起こすのか」
などと、ただ「頑張りま~す」で月末未達成にならないように、きっちりと目標達成までの道筋を積み上げで「詰める」ことを本来の意味とするはず。
できる営業担当者は、上記のような「詰め」を自分の頭の中で組み立てて、試行錯誤しつつ行動しているので、わざわざ上司から詰めを繰り返されることはありません。
本来はこういもののはずなのですが、実際は、論理的な詰めではなくて、人格否定の罵倒や長時間の説教を「詰める」と称しているところもあるようですが・・
さて、本日のお話は「詰められないおじさん」についてです。
詰めを受ける対象は、まだ見込みがあるからこそです。(いじめ目的の人格否定は除く)
しかし、言っても仕事ができず、目標には到底、届かないような方は、そもそも「詰め」を受けることがありません。
もう周りは諦めているわけですね。
そういう「詰められないおじさん」は営業現場からは早々と異動させられます。
管理部門に来て、別の能力を開花させる方もおりますが・・
営業現場でもダメ、本社のバックオフィスもダメとなると、もう、どこにも行き場がありません。
古き良き伝統的日本企業では、こんな「詰められないおじさん」もクビになることもなく、ちゃんと雇用は保証されています。
仕事しろ、と詰められることもなく。
昨今はパワハラ禁止!というコンプライアンスも徹底されていますので、人格否定の罵詈雑言も浴びせられることもありません。
「詰められないおじさん」は仕事ができないからといっても肩身が狭い思いもしませず。
「無敵の人」になってしまうわけです。
中途半端に仕事ができても「詰め」を食らうよりも、楽かもしれません。
でも、こんな雇用環境も、いつまで維持できるのかは疑問です。
今の若者の中にも、「できない君」は一定数おります。
彼らの居場所は、作ってもらえるのでしょうか。