世の不幸は、「選択して」受けとめています。
世の中では、今日もどこかで心無い言葉で傷付けられたり、酷い運命にあって怪我をしたり、はたまた不運にも若くして死んでしまったりする方がいます。
TVではそんな「かわいそうな出来事」をわざわざ盛り上げる効果音楽までくっつけて、繰り返し流してきます。
インターネットでも、そんなニュースが取り上げられ、SNSではみんな同情したり、怒りをみせたり、たくさんの方から発露された感情の波が押し寄せてくることも。
また、身近な職場や家庭でも、「こんなひどい仕打ちを受けた」「こんな信じられない振舞いをする人がいた」というような愚痴や憤慨の声を聞かされることもあります。
これを全部、正面から受け止めて悲憤慷慨し、同情して感情を揺すぶられていたら、自分自身まで、傷付いて疲れきってしまうことと思います。
なので、家族とか、大切な友人であるとか、そんなごく限られた方の声だけには共感して同情したり、怒りを共有したりして、慰めの言葉を掛けたりもします。
そして、それ以外の方々の運命について、いちいちは受け止めず流してしまうようにしてます。
冷たい、のかもしれません。
でも、自分の心が受けとめられる範囲・量はごくごく小さいようです。
自分までが壊れてしまわないように。
受けとめて共感する不幸を小さく選択することで、身を守っています。