朝三暮四の錯覚と社会保障とか。
朝三つ・夕方四つでも、朝四つ・夕方三つでも、猿がもらえるどんぐりの数は変わりません。
「貧困なのは努力不足」という観念を持っている方でも、不運にも貧困に落ち込めば社会保障で無差別に給付を受けられる社会は望ましいです。「以前あんなことを言っていた」から「あっ自己責任ね」とはならないのは救い
— すらたろう (@sura_taro) 2013, 12月 12
生活保護支給の厳格化だとか、果ては「仕送りを勧める」とかいう発想の中には、自分は生活が苦しいなかでも頑張って働いていて納税しているのに・・という有権者側の気持ちや、財政事情が苦しい中で出来る限り切り詰めしたいという行政側の思惑とか、いろいろな「空気」が絡み合っているのではないかと思います。
人は独りで生きているわけじゃなくて、政府(地方政府含め)・社会から義務教育から始まって警察・消防、自衛隊による国防など、様々な公共サービスを受け取っているはずなのですが、それは金銭に換算しにくいし、納税との対応関係が「見えない」ので、自分は国家社会から何も受益していないんじゃないのに!社会保障で生きているのが許せない!となるのではないかと。
だったら、いったん国民に一律給付しておいて所得税・住民税、社会保険料で再度徴収するという意味のないことをすることで、「自分も国家社会から忘れられていない」という実感が得られるんじゃないかと。
はい、無駄の極みですが、昨今の消費税軽減税率要求のしつこさとか、仕送りしろとか、いろいろ見るに、目先の「錯覚」というのは大事じゃなのではないかと。
きっと、この辺は経済学者がいろいろ実証研究しているんじゃないかと思いますが、休日の昼のチラシの裏の落書きとして思うところを書いてみました。
ほう、こんなカルタが。
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ところで、猿ってどんぐりが数えられるんでしょうか・・?