昔の苦労は、本当に今の自分の形成に繋がっているのか、というお話。
若い頃の苦労は買ってでもせよ、などという方がいまだに見られます。
これには前提があって、それは、中高年になり、ある程度仕事をこなせるようになった方が、若い頃の理不尽な苦労を回想し、「あの苦労があったから、今の自分がある」というものでないかと。
だから今の若い者にも苦労して仕事を覚えるべきだという文脈で使われることが多いと思われます。
考えるに、若い頃に味わされた理不尽な苦労が無駄なものだったとは思いたくない。きっと、今の自分の糧になっているはずだという苦労を正当化するような気持ちが含まれているのでしょう。
しかし、精神論的な「頑張り」による回り道をせず、きちんと手順を踏んで仕事を教えていくことで、苦労をしなくても済みますし、その方が体系だって理解できるのではないかと。
「今の自分の職務能力」を習得してきたことと、昔の苦労が、直線的に結びついているとは思えません。
私としては、どこかで理不尽な苦労の強要を断ち切りたい。
そう思っております。