「好きなことで生きていく」を支える人々について。
社会は、どんどん変化しているようです。
人口減少による日本の国力の衰退とか、AIによって仕事がなくなるとか。
「今までのままでは無理だ」、というのは誰しも感じているようです。
そのため、何か新しいこと始めようと呼びかける方々も目立っております。
会社に頼ることはない、スマートフォンでなんでもできる、好きなことで生きていけばいい、と。
私もそういう言説を書いた本を読んだりしました。
なるほど、書いてあることはもっともです。
しかし、何やら違和感も。
新しく変化しよう、と呼びかける人々は、今の社会に当たり前に存在している安定した電力の供給、蛇口をひねれば清潔な水がでる、スマートフォンの通信の確保、定刻通り運行される交通機関。
変わろう、と呼びかけている場合でも、これらの基礎的な社会インフラの維持・整備は、「好きなことで生きていく」人とは別に、何も変化せずに安定して確保されていることが前提になっている。
その前提、明確に書かれていなくても、顔が見えない「誰か」がきちんと無言でやってくれている。
変わる人は、それに乗ればいいだけだ。
そういう暗黙の了解があるような気もしました。
いえ、社会インフラといえども、変わっていくはずなのに。
何か、他者と環境は固定されていて、自分だけが上手く波に乗っていけるのだ。
そんなに都合の良い話があるのでしょうか。
変わるのは、支えている人々も含めて変わっていくのではないでしょうか。
そんなことも、考えております。