お金に関する仕事能力の汎用性のようなものについて。
銀行員受難の時代のようです。
www.yomiuri.co.jp
いえ、1997年金融危機の前後から銀行倒産は現実のものとなっており、銀行員が安定した職業だというのは昔日の話なのですが。
ここ10年ばかり、大きな金融危機が起きていないので、また忘れられているのかもしれません。
さて、銀行員は預金を集める、企業や個人へお金を貸し出す、投資信託や保険などの金融商品を販売するなど、「お金に関する仕事」をしています。
なので、世間の一部では銀行員は次のような能力があるものと期待されているとも聞きます。
①企業の資金調達や資金繰り、財務分析ができる。
②決算書を作ったり、税務処理の実務ができる。
③経費処理の伝票なんか、ちょろいもの。
・・企業融資の実務ができる銀行員なら、企業の「お金に関する仕事」なら何でもできる、そう思われていた時期もあったようです。
ところが、元銀行員が経理部長や財務部長として迎えてみたところ・・上記の①②③なんてまったくできない!というケースが多発したとか。
毎月の所得税源泉徴収もできない、税金の種類も勘定処理の科目もわからない、そもそも伝票が切れない。
まして、決算を組むことなんてできない。
元銀行員には「お金に関する仕事能力」の汎用性など、まったくないというのが本当のところのようです。
これは、銀行員が「無能だ」ということではないようにも思います。
銀行は小さめの地域金融機関でも、世間の標準からすると大きな企業組織であり、その組織の中で仕事は分業されています。
地場で「お金に関する能力」を求めたい中小企業が期待するような、なんでもこなせる、汎用的な仕事はやったこともないし、そういうのは銀行からは求められてもいないからです。
なので、個々の銀行員を「無能」呼ばわりするのは、ちょっと気の毒なのかもしれません。
とは言うものの、転職するなら、なにか自分の能力のようなものをアピールしなければなりません。
やはり、銀行員は「お金に関する能力」でしょう。
冒頭の記事にあるように転職登録をする銀行員、何をアピールできるのでしょうか。
私自身も、考えてみたいと思います。
正直さは、ある日から急に始められるのか。
ある日突然、組織のルールが変わります。
今までは期末になれば押し込み販売などのその場しのぎの対策や、挙句の果てに伝票操作循環取引までやってで売上を立てていたのに。
ある日、不正が明るみに出て経営TOPは追放。
でも、大部分の中間管理職は今まで通り。
言うことだけが変わります。
「これからは、嘘はいけない。」
こんな組織で、その日から変われるでしょうか。
今までは、上手い嘘をつく者、見栄えの良い「取引」を作り上げる者が評価されてきたのに。
率先して嘘と誤魔化しを先導してきた中間管理職は依然としてその位置に座っている。
変わったなんて、信じられるでしょうか。
人間、そんなに簡単に行動規範を変えられるものではありません。
何年経ったら、嘘と隠蔽が褒めらした組織で、正直さが美徳として承認されるようになるのか。
案外簡単に切り替えられる場合と、10年経っても前の行動様式が染みついていて、何も変わっていない場合と。
あなたの場合は、あなたの組織の場合は、どうでしょうか。
「自分がいなくても回る仕組み」の前提条件のお話。
管理職あるいはその業務の中核を担うベテランの大事な仕事は、「自分がいなくても仕事がきちんと回っていく仕組み作りだ」というのはよく聞く話です。
ある分野の仕事が、ある特定の人しかできない・属人的な経験と勘で処理されていてブラックボックス化しているというを避けるためですね。
属人化・ブラックボックス化は不正の温床ですし、たとえ、その特定の人が「善意の人」であったとしても急な病気休暇、あるいは定年退職でいなくなってしまったときに業務の継続すら危ぶまれることになりますから。
なので、情報の共有化・マニュアル化などをコツコツ積み重ねて、「自分がいなくても回る仕組み」を作っているつもり・・だったのですが。
後任者が前と同じような意識で「仕組みの更新」をしていかないと、だんだん法令改正や業務の変化でズレができ、細かい保守管理を継続しないとどんどん合わなくなってしまいます。
「自分がいなくても回る仕組み」というのは、後任が同じくらいの意識をもってその仕組みを「修繕」し続けない限り、あっという間に崩れてしまうものじゃないか、と。
仕組みづくり、だけでは半分で、人づくりもしなきゃいけなかったのかな、とも感じつつ。
「仕組みづくり・人づくりという仕事」そのものが、属人化・ブラックボックス化しているのが原因なのだろうかということに思い当たり、道の遠さに嘆息しております。
現場を動かす影響システムとしての管理会計について。
本日のお題はこちら。
- 作者: 伊丹敬之,青木康晴
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2018/01/31
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
会計という世界には大きく2つの種類があるといいます。財務会計と管理会計ですね。
財務会計は、企業外部に向けたその企業の財政状態・経営成績の報告するための会計で、
管理会計は、企業の内部の管理者に向け、事業(各部署)の状況等を報告するための会計。
などというふうに説明されます。
いずれも、会計の目的は、企業の外部の者・企業の内部の者が、その会計の仕組みによって情報を得て、意思決定に役立てることともされますね。
さて、本書は管理会計についての本です。
管理会計のテキストといいますと、様々に考案されてきた財務指標の計算方法の説明が数式も交えて詳細に説明されており、意思決定者に適切に情報を伝えてくれる・・というものが多いのではないでしょうか。
そこには、数字で測定される企業内部の人々の顔が見えません。
すべての管理会計システムは上司のための情報システムとともに、影響システムとしての機能を持つ。人は、数字で測定されて評価されると行動を変化させる。きちんと設計されていない管理会計システムは、意図せざる方向に人の行動を変化させてしまう
そう、人間は測定されると、測定結果が自分の人事考課や組織評価に使われずとも、行動を変化させるのです。
標準的な管理会計テキストでは、ある指標を設定すれば、設定者の意図通りに被測定者が動くことが前提となっているのでしょう、そういう側面にはあまり焦点が当たっておりません。
本書では、原価計算、資産管理、予算管理、投資採算管理、研究開発など様々な場面において、影響システムによって人々の行動がどう変化するのか、どのように管理会計システムを設計すべきなのかということが詳細に述べられております。
こう設計すれば絶対OKという解は書かれておりません。
それは各企業のおかれた環境も事業内容もすべて異なるからですね。
現場への理解と試行錯誤で、企業経営を強くすることができる、とされております。
標準的な管理会計テキストの「現実味のなさ」へ違和感を抱いている方も、ぜひお読みください。
好きな作品を応援する「作法」について。
webには無料の情報があふれています。
電子でつくられたものは簡単にコピーできますから、作者に無断でオリジナルをコピーし勝手にupしているものも。
コミックやアニメの分野では、そういう違法アップロードが大量に出回っていて問題になっていると聞きます。
読み手の方も、あまり違法だという意識もなく、なかにはSNSで作者本人に直接「アップロードされているの読みました!」とかやっちゃう人もいるらしいですね。
さて、私の娘たちも好きなコミックやアニメがあって、自分でも欲しいという話をしてくることがあります。
「パパ、ネットで探して~」って。
そんなときは、ブックオフとかで中古を安く買うのではなくて。
「気に入った作品があったら、コミックでもグッズでも新品で正規のルートで買いなさい。それでお金が作者のもとに行って、続きが期待できるようになる」
そんなふうに教えています。
「違法アップロードはダメだ」と頭ごなしに押し付けても、無料情報に慣れた世代にストレートに理解するのは難しいでしょう。
どうすれば、好きな作品を応援できるのか。
どうすれば、作品の作り手にお金を届けられるのか。
どうすれば、続きを描いてもらえるのか。
回り道でも、理解してもらえればいいな、と思っております。
「好きなことで生きていく」を支える人々について。
社会は、どんどん変化しているようです。
人口減少による日本の国力の衰退とか、AIによって仕事がなくなるとか。
「今までのままでは無理だ」、というのは誰しも感じているようです。
そのため、何か新しいこと始めようと呼びかける方々も目立っております。
会社に頼ることはない、スマートフォンでなんでもできる、好きなことで生きていけばいい、と。
私もそういう言説を書いた本を読んだりしました。
なるほど、書いてあることはもっともです。
しかし、何やら違和感も。
新しく変化しよう、と呼びかける人々は、今の社会に当たり前に存在している安定した電力の供給、蛇口をひねれば清潔な水がでる、スマートフォンの通信の確保、定刻通り運行される交通機関。
変わろう、と呼びかけている場合でも、これらの基礎的な社会インフラの維持・整備は、「好きなことで生きていく」人とは別に、何も変化せずに安定して確保されていることが前提になっている。
その前提、明確に書かれていなくても、顔が見えない「誰か」がきちんと無言でやってくれている。
変わる人は、それに乗ればいいだけだ。
そういう暗黙の了解があるような気もしました。
いえ、社会インフラといえども、変わっていくはずなのに。
何か、他者と環境は固定されていて、自分だけが上手く波に乗っていけるのだ。
そんなに都合の良い話があるのでしょうか。
変わるのは、支えている人々も含めて変わっていくのではないでしょうか。
そんなことも、考えております。
通貨発行の簿記会計的なお話。
皆さんが持っている1万円札。製造原価はおよそ20円です。
なので、日本銀行は1万円札を刷るたびに、1万円と20円の差額、9980円を「通貨発行益」として得られる・・というお話を聞いたことがあるのではないかと思います。
仕訳を考えてみました。
日本銀行の1万円札発行仕訳
(借方)日本銀行券 10,000 (貸方)銀行券製造費 20
(貸方)通貨発行益 9,980
この仕訳では、日本銀行券は借方に来ています。資産の増加、という意味ですね。
日本銀行以外の個人や企業にとって、お金は資産=財産そのものです。何も間違っていないのでは・・と思われるかもしれません。
しかし、こちらに掲示されている日本銀行のバランスシートをみますと、日本銀行券は日銀の資産ではなく「負債」です。約100兆円、負債の部に計上されていますね*1。
平成29年3月期 日本銀行決算(PDF)
http://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1705a.pdf
この仕訳は誤りです。
こちらを読んでいたところ、この記述にも当たりました。
アフター・ビットコイン―仮想通貨とブロックチェーンの次なる覇者―
- 作者: 中島真志
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/11/10
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
銀行券の額面と製造費の差額が通貨発行益になるという俗説は誤りです。例えば、日本銀行は1万円札を20円で仕入れて1万円で発行しているため、9980円を儲けているという説明は完全に誤りです
では、どういう仕訳になるのか。考えてみました。
貨幣発行を簿記会計的にお話いたしますと次のようになります。
仕訳は、すべて日本銀行の帳簿上で行われているものです*2。
①日本銀行は、銀行券製造費を計上して国立印刷局へ1万円札を発注する。
(借方)銀行券製造費 20(貸方)現金 20
銀行券製造費は、年間で518億円計上されています。
この時点では、日本銀行券はオフバランスであると推測されます。
②民間銀行は、預金者からの支払い要求に備えて、日本銀行に預けてある当座預金から、日本銀行券100億円を引き出す。
(借方)当座預金 100億(貸方)発行銀行券 100億円
この時点で、オフバランスであった1万円札が日本銀行のバランスシートの負債に計上されます。
当座預金も、日本銀行の負債に計上されています。
鏡として、民間銀行の資産にもなっています。
日本銀行から、お金(=日本銀行券)を引き出しできるのは、日本銀行に当座預金を保有している民間銀行のみですね。
なので、国立印刷局から受け取りした1万円札は、民間銀行から日本銀行への払い出し請求が唯一の流通ルートなるわけです*3。
これが通貨発行の仕訳です。
では、通貨発行益とは・・こちらにあっさりと書かれています。
日本銀行の利益はどのように発生しますか? 通貨発行益とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan
日本銀行の利益の大部分は、銀行券(日本銀行にとっては無利子の負債)の発行と引き換えに保有する有利子の資産(国債、貸出金等)から発生する利息収入で、こうした利益は、通貨発行益と呼ばれます。
ちょっと繋がりません。
こちらを繋げますと、②の仕訳で民間銀行から預かっている当座預金が借方に来ました。
次に、この仕訳が起きます。
③日本銀行は、民間銀行が保有する国債100億を買いオペにより買い入れ、代金を民間銀行の当座預金へ振り込んだ。
はい、②と③の仕訳を繋げると、当座預金は同額100億円が借方貸方で増減が消えてしまいます。
結果、この仕訳が残ります。
(借方)国債 100億 (貸方)発行銀行券 100億
これで、「お金を刷ることで、利息を生む資産=財産である国債を入手」できたことになります。
1万円札は、持っている人に利息を払う必要はありません。
ゼロ(20円の原価)で、毎年、利息を生む国債を入手できたわけです。
通貨発行益とは、国債などの資産から得られる収入から、1万円札の製造費用も含めた経費、日本銀行職員に支払われる給与、民間銀行へ支払う当座預金の一部に付される利息などの費用を差し引いて残ったものになるもの、ということになります*4。
以上、簿記会計がわかると、もっともらしい話が実は誤りで、こんなふうに日本銀行の中で切られている仕訳も推測できるようになりますというお話でした。