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すらすら日記。

すらすら☆

悪い噂ばかり持って来る方への対処について。

世の中には、噂話が生きがいのような方がおります。

良い噂ならばまだ良いのですが、人の悪口や不幸な話を聞きつけ、それをまた誰かに広めることを日々の楽しみにしているような人物も観察されます。

「Xさんが職場で上役のYからいじめを受けて辞めちゃったんだって!Yって酷いよね!」

「Xさんと仲が良かった同僚のZさんがYのことずいぶん恨んでいるみたいだけど、Yは知らんぷりなんだって!」

などなど。

退職を余儀なくされたXさんに同情している、あるいは酷い上司のY氏に義憤を感じているのか。それともZさんに感情移入しているのかもしれません。

なぜ、噂好きの方は、わざわざあなたにその話をもってきたのでしょう?
あなたは、X、Y、Zの3者とも名前を聞いたことはあるが面識がありませんし、別の部署で働いているだけという関係です。
噂好きの方は、あなたに一緒にXさん・Zさんに同情し、Y氏を糾弾してほしいのでしょうか。
よく知らない方なので、同調を留保していると、噂好きの方は、あなたが一緒に義憤を感じない冷たい人だとして、また別の方へ噂話を広めていくかもしれません。

今度、噂話の中で糾弾されるのはY氏に加えて、あなたもです。

本当は、Xさんはやりたい仕事があって転職しただけなのかもしれません。Y氏のいじめなるものは、上司として当然指摘すべき、ちょっとした厳しい指導だけだったのかも。
Zさんの「恨み」なるものは、「Yさんってちょっとキツイよね」くらいの軽い感想をもらしたのを、噂として大きくしているだけということも。

事実はどうでもよくて、とにかく人の悪口や不幸な話が大好きな噂好きの方。

こんな困った存在、身近にもいるかもしれません。
そんな悪い噂ばかり伝えて歩く方へ、どう対処したらいいのでしょうか。



張り付いた怒り・不平・不満の仮面を剥がそうとするのは。

職場は「仕事」をするために集まっているわけで、黙って仕事だけしていればいい、というのは一見、正しいようにみえて実は効率が悪いそうです。

聞くところによりますと、もくもくと一人で作業しているよりも、雑談しながら進めた方がはるかにスムーズに仕事が進むとか。

コミュニケーションをとろうとしても、どこの職場にも、不満や不平の表情が顔に張り付いたような、いつも怒っているような顔つきの方がいないでしょうか。

いちばん偉い席に座っている部門の長や、長年そこにいるベテランの方とか。

あるいは、若い方でもそういう方がいるのかもしれません。

そういう表情だと、どんな人でも話しにくいですよね。

残念ながら、私の職場にもいつもそういう表情の方がいます。

私は自分からはプライベートな話もしないし、雑談もできていません。

自分から拒否しているわけでは無いのですが。

そういう怒り・不平・不満の仮面を付けた方だと話しかけづらいし、実際、話しかけてもあからさまな拒絶が返ってくることも。

何回か、試みましたが、その仮面は変わりませんでした。


その張り付いた怒り・不平・不満の仮面の原因はわかりません。

日常の私生活に原因があるのか。あるいは私のことが感情的に嫌いなのか。

それとも、会社で働くこと自体が嫌なのか。

その原因はわかるはずもありませんので、考えても不毛でしょう。

幸い、定期的に人事異動がありますので、何年かすれば人員は入れ替わります。

仮面を外そうとしない方に向き合っても疲れるだけですので、時が解決してくれるのを待つことにしようかと思います。



「苦しい」サインを示している方がいたら。

小中学生~高校生くらいまでは、家族と学校の人間関係がほぼすべてであり、そこのコミュニティに受け入れられない・つまはじきされると非常に苦しい思いをすると聞きます。

特に、学校の友人関係の同調圧力とかすさまじいもので、そこでは「みんなと同じ」じゃないと、体内から排除されるべき「異物」のように扱われるとか。

そこのコミュニティは、中学3年間、高校生3年間ですから、「合わない」と思ってもちょっとの間、がまんすればまた別の世界へ移れるはずのです・・しかし、そこの中にいて苦しい思いをしている「異物」扱いされている子は、そんなことは思いつかず、ただ毎日が苦しいだけだとも。


さて、大人になっても、たった一人では生きていけませんから、何かかしらの組織・コミュニティに入ることになります。

多くの人は、会社組織に雇われて働くことになるでしょう。

そこでは、やっぱり同調圧力が働きますが、仕事さえこなしていれば、ある程度は割り切って干渉してきません。

パワハラにもうるさいので、学校時代のような陰湿ないじめは起きにくいとも。

あちこちに支社・支店がある大企業なら、何か人間関係の問題があれば、引き離してくれますし、上司も部下も互いに定期的に人事異動がありますので、長くて3~4年もあれば「合わない人」とはおさらばできるものです。

でもやっぱり、人間関係で苦しんでいる当人にとっては、一日一日が10年にも感じられ、なんとかしてそこから逃げたくなるものと聞きます。

私個人も今は平穏無事な日々ですが、教えてくれる人もいない中での退却戦の激務で疲労困憊していた時期も。

そんな時、直属の上司じゃない別の上司、または別のところにも「苦しい」というサインを出したりしてたのですが、誰も助けてもくれなかったし、何も変化はありませんでした。

変わったのは、自分自身が少しだけ頑張って仕事を楽にできるようにしたこともありますけど、やっぱり外部環境の変化=周りの人が入れ替わり、何よりも退却戦が終わったからでしょう。

私だって、ちょっと道がずれていれば、精神をやられていたかもしれません。

昔のユニクロワタミなど、音に聞こえるブラックな労働環境じゃなくても、ちょっと仕事がきつかったり、強い同調圧力のような人間関係に晒されれば、かんたんに人は壊れます。

その中に落ち込んでいる人には、そんな苦しいのは長くは続かない、本当に嫌ならば出ていけばいいというのは、外野だから、自分が生き延びたから言えるに過ぎないと思います。

「弱いからそうなるんだ」と言われた時は、それは絶対に違う、と強く否定しておきました。



身近に「苦しい」サインを示している方がいたら、何ができるのかはわかりません。

とりあえず、そのサインに気づく場所にいたなら、自分が何をしたらいいのか、考えてみたいと思います。



何かに捉われている生き方について。

SNSを見ていますと、他者の学歴や年収が気になって、来る日も来る日もその話題から離れられない方もおります。

あるいは、好ましくないと思っている政治党派の悪口ばかり繰り返している方。

また、延々と自分の好きなアイドルの女の子の話ばかりしている方もおります。*1

そして、話題はその時々で変わるかにみえますが、常に「攻撃できる対象」を探し、その相手に突撃してやりこめることを楽しんでいる方。


みんな、何かに捉われて生きているようです。

一歩、離れて他者からみれば、執着している対象にそこまでの価値があるのかは理解できません。

でも、その人にとってみれば、そのことからは離れることができない大事なものなのでしょう。

生きていると、不確かなことばかりです。

とりあえず、明日明後日くらいまでは今日と同じ日が繰り返されるのは間違いなさそうですが、その先は、誰にもわかりません。

足元も不安定だし、手を掛けて掴まる場所もありません。

だから、何かに捉われて、それに依存しているのかもしれません。

とりあえず私は、依存できる対象を見ている間だけは、安心しています。

ここを読んでいる方は、なにものにも捉われず、自由に生きているでしょうか。


*1:私のことですね。

世の不幸は、「選択して」受けとめています。

世の中では、今日もどこかで心無い言葉で傷付けられたり、酷い運命にあって怪我をしたり、はたまた不運にも若くして死んでしまったりする方がいます。

TVではそんな「かわいそうな出来事」をわざわざ盛り上げる効果音楽までくっつけて、繰り返し流してきます。

インターネットでも、そんなニュースが取り上げられ、SNSではみんな同情したり、怒りをみせたり、たくさんの方から発露された感情の波が押し寄せてくることも。

また、身近な職場や家庭でも、「こんなひどい仕打ちを受けた」「こんな信じられない振舞いをする人がいた」というような愚痴や憤慨の声を聞かされることもあります。

これを全部、正面から受け止めて悲憤慷慨し、同情して感情を揺すぶられていたら、自分自身まで、傷付いて疲れきってしまうことと思います。

なので、家族とか、大切な友人であるとか、そんなごく限られた方の声だけには共感して同情したり、怒りを共有したりして、慰めの言葉を掛けたりもします。

そして、それ以外の方々の運命について、いちいちは受け止めず流してしまうようにしてます。

冷たい、のかもしれません。

でも、自分の心が受けとめられる範囲・量はごくごく小さいようです。

自分までが壊れてしまわないように。

受けとめて共感する不幸を小さく選択することで、身を守っています。


いつも、誰かと比べている。

違う職業の方や、違う街に住んでいる方を「楽しそうな仕事でいいなあ」「面白いイベントがたくさんあっていいなあ」と羨むこともあります。

「他人の芝生は青く見える」って、よく聞きますからね。

特に、ちょっとだけ手を伸ばせば届きそうな距離にいるところにいる方々について。

どこか遠い街の知らない大金持ちを羨ましい、あんな風になりたいとはあまり思わないでしょう。

あまりに、隔絶していますから。

自分と比較できる、ちょっと似ている他者の、ちょっとした違いに羨望を覚え、いろいろ考えてしまう。

一人として自分と同じ他人はおりません。

でも、少しだけ共通点があって、少しだけ違う。

その小さな差異を羨んだり、あるいは、自分の方が優位だってひそかに満足したり。

誰かと比較せずに、自分の中だけで幸せになれないものなのでしょうか。

とかく、人の心はままならないものですね。


「詰められないおじさん」は、社内では無敵の人ですが。

「詰める」という文化は、金融業独特なのでしょうか。

詰める、とは、手数料収入などの営業目標が未達成の担当者に対し、上司・先輩が・・

「あと見込客はどのくらいあるのか」

「明日の見込みはいくらで、明後日はどのくらいなのか」

「足りない分は、どの客層を当たって掘り起こすのか」

などと、ただ「頑張りま~す」で月末未達成にならないように、きっちりと目標達成までの道筋を積み上げで「詰める」ことを本来の意味とするはず。

できる営業担当者は、上記のような「詰め」を自分の頭の中で組み立てて、試行錯誤しつつ行動しているので、わざわざ上司から詰めを繰り返されることはありません。

本来はこういもののはずなのですが、実際は、論理的な詰めではなくて、人格否定の罵倒や長時間の説教を「詰める」と称しているところもあるようですが・・



さて、本日のお話は「詰められないおじさん」についてです。

詰めを受ける対象は、まだ見込みがあるからこそです。(いじめ目的の人格否定は除く)

しかし、言っても仕事ができず、目標には到底、届かないような方は、そもそも「詰め」を受けることがありません。

もう周りは諦めているわけですね。

そういう「詰められないおじさん」は営業現場からは早々と異動させられます。

管理部門に来て、別の能力を開花させる方もおりますが・・

営業現場でもダメ、本社のバックオフィスもダメとなると、もう、どこにも行き場がありません。

古き良き伝統的日本企業では、こんな「詰められないおじさん」もクビになることもなく、ちゃんと雇用は保証されています。

仕事しろ、と詰められることもなく。

昨今はパワハラ禁止!というコンプライアンスも徹底されていますので、人格否定の罵詈雑言も浴びせられることもありません。

「詰められないおじさん」は仕事ができないからといっても肩身が狭い思いもしませず。

「無敵の人」になってしまうわけです。

中途半端に仕事ができても「詰め」を食らうよりも、楽かもしれません。

でも、こんな雇用環境も、いつまで維持できるのかは疑問です。

今の若者の中にも、「できない君」は一定数おります。

彼らの居場所は、作ってもらえるのでしょうか。


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