すらすら日記。

すらすら☆

自己の選択肢の正しさの確認の方法と程度について。

進学、就職、結婚、転職、独立して自営業になる、離婚する、日本を離れて外国で暮らす。

人生には、いろいろな選択の連続であり、岐路においてどちらかを選ぶことを迫られます。

後から振り返って、自分の選択肢は正しかったのだろうか、と思うこともあるでしょう。

今、それなりに幸せに暮らしていれば、あの時の選択は正しかったとなりますし、

今、ちょっと不幸せで他者の芝生が青く見えていれば、あの時は誤ったなどとも。


上手く生きていると思い、自己の選択を後づけでの理由で正当化するのは誰しもやっています。

ところが、それだけでは不安なのか、自分が選ばなかった道にいる人を「バカだ」「なぜこっちに来ない」などとやっている方をインターネット上で見かけることがあります。


都会であくせく働く会社員の人生はくだらない。

自立して自由に生きよう。


などなど。

幸せの形は人の数だけあるわけですから、自分の選択肢の「正しさ」は自分だけで確認すればじゅうぶんです。

他者には、他者の選択肢があり、それぞれの人生を送っている。

自らの選択が本当に正しかったのか、不安なのかもしれません。

でも、その不安は、他者の選択肢を貶めることでは鎮めることはできません。


それぞれの道を、時々振り返る程度で。

それぞれで歩いていくしかないのではないか。

私は、そう思っています。



正義感が、憎悪と怒りに転換してしまっている人々について。

SNSを眺めていますと、「世界が自分の理想としている姿と異なる」と毎日毎晩、怒っている人々が目に付きます。

その人々から見ると、世の中は不正と理不尽に満ちており、為政者は民衆を窮乏に陥らせるために陰謀をめぐらしている、ということになっているようです。

実際には、世の中には、不正や悪はありつつも、それなりに善き意思を持った人々がいて、それぞれの仕事を分業することで維持されているのではないかと。

でも、毎日毎晩、何かに怒っている人は、その人の自分の中で想像して作り上げている歪んだ像が最初にあって、後はそれを証拠づける断片的な「事実」を自ら集めにいっているだけ。

良い面、善意の人々は存在しないかのように憤り、誰かを攻撃せずにはいられなくなっている。

完全な理想世界など、どこにも存在しません。

なぜ、有限な人生のなかで、あえて、不正や悪だけを自ら探しにいき、それに向かって怒ってみせるという不毛なことばかりしているのでしょう。

悪や不正を見逃せとは言いません。

緊急に解決しなければならない問題、捨ててはおけないこともあるでしょう。

最初は、素朴な正義感から始まったのかもしれません。

でも、不正や悪にばかり捉われ、さらには自分で虚像に過ぎない陰謀の存在まで想像して作り上げて憎悪を剥きだしにしているのにみるに。

憎悪と怒りが目的化してしまっている。

人の心は、こんなにも歪んでしまうものなのかもしれない、と。

その人々の心が、休まる日は来るのでしょうか。



「正しいこと」が伝わらないもどかしい人生について。

本日のお題はこちら。

生涯投資家 (文春e-book)

生涯投資家 (文春e-book)

数々の上場企業の株式を取得して、投資家として経営者へ向けて経営改革を迫った村上ファンド代表、村上世彰氏の回想です。

村上氏、2006年にライブドアに絡んだインサイダー事件で逮捕され2011年に最高裁で有罪が確定します。

その後も沈黙を守っておりましたが・・本書は最初で最後の回想にするつもりのようですね。

通産官僚からオリックス宮内社長との出会いを経て村上ファンドを設立。

東京スタイルへの日本初となる敵対的TOBから始まって、

ホリエモンとも交錯したニッポン放送・フジテレビへの投資、

西武鉄道阪神鉄道への改革提言など。

私も同時代で見てきた様々な行動については、特に目新しい事実などはありませんが、あの時、村上氏はこういうことを考えていたのか、ということが。

当時、メディアで切り取られて報道された村上氏の表情や断片的な言葉とは、ずいぶんと受ける印象が異なりました。

村上氏は、とても「真摯」な人物であるな、と。



経営者は、株主から委任を受け、投資家から託された資金を最大限、効率的に活用して企業価値を高めるべく行動するべきだ。

相互保身のための持合株式などは許されない。

有望な投資計画がないなら、余剰現金は配当や自社株買いで株主へ還元すべきだ。


村上氏の提言は、今にして思えば当たり前のことです。



村上氏は、投資家として経営者に面談し、上記のような経営改革を提言します。

しかし、理解してもらえず、話が通じません。

そうなるとキツイ言い方をしたり、途中で席を蹴って立ち去ってしまったりを繰り返してしまいます。

そういう断片がメディアに切り取られてバッシングの材料にされたのでしょう。

既存の経営者には拒否され、マスメディアに先導された一般社会からは叩かれる。

最後は、裁判官にまでに「金儲けはけしからん」と批判されてしまうことに。

「正しいこと」が伝わらないもどかしい人生であったのかもしれません。


しかし、村上氏の主張は、

2014年に公表されたROE8%以上を目指すべきという伊藤レポート、

投資家のためのスチュワードシップ・コード、

企業のためのコーポレートガバナンス・コードでほぼ企業社会全体への要請として常識化してきたようにも思われます。

村上氏は、登場が、早過ぎたのでしょう。

それでも、村上氏はなんとか日本社会が良くなって欲しいという思いから、自分の信ずることに従い投資活動を続けています。

その主張に、今でも賛否はあるかもしれませんが、メディアの断片ではなく、本人の言葉をぜひお読みいただきたいと思います。

内容の詳細や引用はこちらも。
twitter.com



個人的な好悪を社会全体に仮託して自由を圧殺しようとする人々について。

人間は群れて暮らしていますが、お互いに他者に踏み込んでこなければ、何をしても自由であるべきではないかと思っております。

ただ、それは他者や社会に完全に無関心だ、ということを意味しているわけではありません。

直接、私自身に関係がない他者の振る舞いであっても「これは許し難いな・・」と憤りを感じることもあります。

極端な自由主義者であれば、「それはその人の自由だ」と言い切れるのかもしれません。

でも、その振る舞いで、誰かが傷つけられて、踏みにじられている時でも黙っているべきでしょうか。

ただし、その許し難い人物と行いを糾弾するとき、最低限の自分のルールとして「自分個人の規範意識、価値観に照らして許せない」というだけに留めております。

誰かを許せないと思っても、

「みんな、あなたの行動は許せないと言っている」

「社会の常識からしてあり得ない」

そういう憤りのぶつけ方はいたしません。

自分の個人的な怒りを、顔の見えない社会全体なるものに仮託して公憤にすり替え、正義を振りかざすような真似はしたくないからこそ。

個人的な好き嫌いを、あたかも社会全体が要請している正義であるかのようにぶつけ、自由を圧殺しようとしてくる人々をみる度に、その思いを再確認しております。


「正しいこと」の正体について。

会社組織のなかで、自分では「正しいこと」を主張しているつもりなのに、

明確な理由もなくその意見を否定され、

悔しい思いをしたことがある方は多いのではないかと思います。

その「正しいこと」はいわゆる独自の見解ではなく、法令や制度で求められていることであっても、通らないことも。

だんだんわかってきたのですが、会社組織では「正しいこと」が通らないわけではありません。


その採用される正しいことというのは・・

「組織のなか」で、「正しいと信じられていること」が必要なのであって

「組織の外」でいくら正しいとされていても

中の人には通じないということではないかと。



「正しいことをしたければ、偉くなれ」などというセリフは、ドラマやマンガのなかでよく見かけます。

でも、その正しいことをしたくて偉くなった人が信じている「正しいこと」。

果たして、昔日に否定されて悔しい思いをした「正しいこと」と同じでしょうか。


立場が変わったら、前とは変わってしまう人を見るに、その「正しいこと」もまた、変わってしまったのかもしれません。


「努力はしないけど、バカにされたくない」という人々の問題は解決できるか?

本日のお題はこちら。

ヒルビリー・エレジー?アメリカの繁栄から取り残された白人たち?

ヒルビリー・エレジー?アメリカの繁栄から取り残された白人たち?

そこで支持を得たことがトランプ大統領誕生の原因となったとされる、米国のラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれる白人貧困層の実情を描いております。

白人貧困層の実態は、驚愕すべきものです。


努力して勉強し良い成績を取ることは女々しい

大学へ行く者などめったにおらず、高校卒業もわずか2割。

薬物と暴力が蔓延・・

悪いことはオバマのせい、移民のせい、中国が仕事を奪ったせい。

努力はしないが、バカにされたくない。


著者は、オハイオ州ミドルタウンにヒルビリー(田舎者)として生まれますが、著者だけは、海兵隊に志願して4年間勤務することで「努力すれば運命は変えられる」ことを知り、州立大学からイェール法科大学院へ進んで弁護士となります。

これは例外中の例外で、多くのヒルビリーは、そこから抜け出すことができず・・親から子へと貧困と無知が連鎖。

あくまで本書は著者の個人的な回想録ですので、「どうしたら解決できるのか」ということは書かれておりません。

ワシントンの政治家が法律と制度を整備すれば、変えられるものではない、とだけ言っておりました。

これは、米国での話ですが、日本でも貧困層は貧困のまま親から子へと連鎖していくと聞きます。

これ以上、社会が分断されてしまわないために、何をしたらよいのか。

私にもはっきりとしたことはわかりませんが、考えてみようかと思います。


こちらに引用をまとめております。

同じく米国の白人貧困層の実態と、トランプ支持の理由についてはこちらもどうぞ。



定量分析に基づく地域金融機関の将来について。

本日のお題はこちら。

銀行業界は、法令にもとづく、金融庁の厳しい監督下にあります。

そのため、銀行員の発想として、「将来、起こること」「これから何をなすべきか」ということについては、法令や規則・ガイドライン・金融検査マニュアルなど、定性的な文章に何が書いてあるかを読み取りしたり、金融検査官の顔色を窺ってその意図を忖度したりすること根拠にして行うことを得意としている傾向があります。

「銀行マンは数字に強い」などとも言いますが、実際には、数字による定量分析的なことは得手とはしておりません*1
そのため、地域金融機関の将来予測も、「規制の影響」や「地域金融のあるべき論」など、定性的な分析によっているものが多かったかと思われます。

本書は、従来からある定性分析ではなく、定量分析、具体的には銀行の公表財務データや人口動態、納税情報など統計データを分析してモデルをつくり、将来の人口減少下で預金・貸出金がどのように推移していくかを予測しております。

その結果は、かなり衝撃的です。

某弊社が本店を置く県では、貸出金は2025年までに20%減少、2045年までには40%減少していくという予測結果となっていました*2

2025年。そんな遠い将来ではなく、あと8年しかありません。


さらに、貸出金約定金利も趨勢的に低下していくことも、データを基に推計しております。

こんなにボリューム減少、金利低下では、経営統合なしで単独で地方銀行が生き残っていくのは現実的ではないことを述べています。

「地域に貢献することで、わが行の価値が顧客に支持され、収益を確保できている。経営統合は不要だ」

地銀経営者のこういう発言は、記者会見の度に耳にします。

しかし、これは単なる願望であって定量分析からは、単独での地銀存続には厳しい予測が示されています。

この他、銀行経営者が合併にインセンティブを持たない理由や、
近年のガバナンス改革で導入された本当に社外取締役が一般株主の利害を代表しているなら、莫大な経費削減効果が見込める合併を勧めないのはなぜなのかなど、
銀行内部や、金融庁サイドからは期待しえない分析もいろいろ述べられております。

地銀だけではなく、信用金庫の将来像の分析や、和歌山県や北海道での事例分析も取り上げられております。

マイナス金利政策導入前に書かれた本ですが、基礎的な前提条件は変わっていない(むしろ、地域金融機関に不利になっている)ので、今日以降を読むためにいろいろとヒントを得られる1冊ではないかと思われます。

この問題に関心のある方にご一読をおすすめします。


*1:ごく一部のリスク管理担当部署では別ですが、経営企画部門でさえ、計数分析はそれほど得意にはしていないのが実態です

*2:過去の財務データ・人口動態分析により、生産年齢人口と貸出金残高が相関していることをモデル化し、将来の人口推計を当てはめて算出するという方式によっております。複雑な数式を用いているわけではありません。

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