リベラル派・護憲派への違和感の正体についてのお話。
本日のお題はこちら。
憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2
- 作者: 井上達夫
- 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
- 発売日: 2016/04/16
- メディア: Kindle版
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私個人は、学校の先生が教えてくれることを素直に聞く方でした。
繰り返し教えてもらった日本国憲法の提唱する国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という価値は今でも尊いものとして信じております。
大学は法学部ではありませんでしたし、憲法の講義を履修したこともないので、憲法というものは権力を縛るものだ、立憲主義とはそういうものだという議論は最近になって聞いたように思います。
なお、自衛隊は違憲ではない、憲法9条にいう戦力には当たらないという公式の解釈に対しても深く考えることもなく、そういうものなのだろう、それに9条があるからこそ米国に軍事面での協力を無理強いされずに済んでいるのだとも考えておりました。
また、良き市民としては、憲法を修めた学者たちに対しては、相応の敬意を払うべきだとも思っておりましたが、昨今のいわゆるリベラル勢力、護憲派の学者たちの言動を聞くに、「何かおかしい、変だ」という漠然とした違和感が。
本書は、その違和感の正体を一部、明らかにしてくれました。
それは、次のようなものです。
自衛隊の存在自体が違憲だという原理主義的な憲法学者もいれば、集団的自衛権は合憲だという憲法学者もいるにもかかわらず、「集団的自衛権は違憲だというのは法律家共同体のコンセンサス」という主張を行う方や、異論を認めず、専門家ではない一般市民は黙って従えという方々も。
護憲派憲法学者たちは、自らの政治的主張のために、誰がどう見ても軍隊である自衛隊を戦力ではないという解釈改憲を合憲と認めつつ、別の解釈改憲である集団的自衛権の認容は違憲だという欺瞞的な主張をしている。*1
この欺瞞は、改憲派の人々にも伝染し、最初は国会の発議から国民投票という適法な手続で改憲を目指していたのに、護憲派の欺瞞を真似て、解釈改憲で済まそうとしているとも。*2
井上氏自身は9条を削除し、安全保障のあり方はその時々の民主的討議の過程に委ねるべきだという主張のようです。*3
権力を縛るために憲法が存在する、立憲主義は、政治的党派性を超えて大切にしなければならないというのには同意します。
敬意を払うべきと思っていた学者たちの欺瞞性が明らかになったことにかかわらず、その価値は尊重されるべきでしょう。
さて、私は何に賛成し、何に反対しなければならないのか。
また、考えてみることにします。
本書の第1弾についてはこちらもごらんください。
sura-taro.hatenablog.com
*1:本書の中では、いろいろなリベラル派・護憲派の学者たちの言動が実名で批判され、SEALDsの学生たちの独善性もやり玉に挙げられています。また、本書中には登場しませんが、私有財産制と自由主義を基調とする日本国憲法と根本的に異なる社会主義体制への移行を目指す日本共産党が立憲主義を唱えるのは欺瞞の最たるものでしょう。
*2:時の政権や改憲派の学者も批判されていますが、憲法をないがしろにしているという点で護憲派の言動がより問題が大きいとしています。
*3:私自身、安全保障問題に関してはまるで知識がありません。個別的自衛権のままでいいのか、集団的自衛権が必要なのかという問題については今のところ判断を下せません。また、井上氏は市民と軍を異質なものとして分けるのではなく、「民主的な仕組み」としての徴兵制を主張しています。