周囲とはちょっと違う自分を確認するために。
本日のお題はこちら。
- 作者: カロリン・エムケ,浅井晶子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2018/03/16
- メディア: 単行本
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「自分とは違う存在」を作り出して攻撃するという風潮がみられるようになっています。
私自身は、日本人で、男性で、正社員で、異性愛者で、専業主婦の妻がいて、子供が二人いて、政治的には極端な意見は持たず、特定の宗教に強い信仰を持つわけではなく、世俗的で、それなりに自由と民主主義の価値を信じている。
この社会では多数派なのでしょう。
それでも、世間一般で人気があるサッカーやゴルフには関心を持てないし、職場の人たちと飲みに行っても話題がなくて苦痛だったり。
表面的な属性では多数派でも、細かいところでは「違う存在」として疎外感や差別の目線を感じたりすることもあります。
同調圧力を受けることもあります。
なぜ、違う感覚を持っているのか、と。
著者はこう述べております。
公共の場での多様性が目に見える限り、そして私自身の個性と望み、ときには他者と違う信条を持つ私という個人の自由が守られていると感じる限り、安心していられる。自分の生きる社会が多様な人生の設計、信仰、政治信条を認め、受け入れてくれると感じていられれば、少しばかり強くなれる気がする。
本書は、ドイツで難民を乗せたバスを市民が取り囲んで罵声を浴びせたクラウスニッツ事件など、AfD(ドイツのための選択)などの排外主義政党の台頭など、ドイツ・欧州で起きている「自分とは違う存在」を作り上げて攻撃するという事態を背景としています*1。
私は断片的なニュースでしかこのあたりの情報を知らないため、しっかりと理解できたかは怪しいところもあります。
「みんなと同じ」であるとして安心したい人々がたくさんいるのでしょう。
でも、私自身も社会の多数派でありながら、周囲とは自分が違う存在であることも知っています。
実は、「均一な多数派」なるものは虚像で、そのなかのそれぞれの存在は、誰一人とて同じ人間ではない。
自分を確認するためには、他者もまた違う存在であることを個々に認識していくしかない。
欧州の政治文化的背景が知らないと、ちょっと理解しづらい文章もありましたが、本書でそんなことを認識することができたように思います。