「やっぱり嫌い」という確認と共有について。
蛇や昆虫など、生理的に嫌いな生き物をわざわざ見に行って「やっぱり嫌い!」ということをする人間はあまりいないのではないかと思います。
ところが、嫌いな相手が同じ人間の個人であったり、あるいは人間の集まりである企業組織や政党、大きくは国家だったりすると・・
毎日毎晩、嫌いな対象に張り付いて、
「また嘘を並べている」
「やっぱり酷いことをやるんだな」
ひたすら怒りを表明している人々を見かけます。
怒りの対象は有名人(政治家や芸能人)であったり、マスコミや金融機関などの企業、自分とは政治思想が合わない左右の党派、近隣諸国、あるいは日本という国そのものだったり。
思うに、嫌いな対象を「やっぱり許せない」と毎日繰り返せずにはいられないのは、「嫌いだ」というのが自分自身の一部になっていて、負の感情を表明することで自分自身を確認しているのではないかと。
嫌いなはずの対象が、自分の心の一部になっている。
不幸ではないでしょうか。
何が幸せなのかは、人それぞれの心のなかにしかありませんので、私からとやかくは言えないのですが。
ただ、嫌いな対象がこんなに酷いことをしている!俺の嫌いな気持ちを共有してくれ!!とSNSなどでやられてしまうと、こちらの目にも入ってしまうので、それは止めて欲しいなあ、と。
私個人としては嫌いなものはなるべく見たくないので、視界に入ったら、黙って目を背けます。
自分からは、大きな声での「嫌いの共有」は控えたいと思います。