社会を正しい「理論」で改造できるという思想の帰結について。
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- 作者: ニコラ・ヴェルト,根岸隆夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2019/02/09
- メディア: 単行本
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1930年代、党内闘争に勝利して独裁権を握ったスターリンが、「階級としての富農撲滅」を目的として農業集団化を強行します。
農業集団化は、生産手段の私有廃絶という共産主義イデオロギーの実行であるとともに、(飢餓を発生させたとしても)穀物輸出をして重工業化=資本蓄積に必要な外貨を得るためにおこなわれました。
農業集団化により、飢えてモスクワなどの大都市へ流入した農民を強制的に狩り集めて、元から年に居た「寄生者」「社会主義建設には役立ない者」とともにシベリアの奥地へ植民(追放)するという計画も実行されます。
農業集団化と強制植民は、次のような「確信」に基づいて行われます。
新しい国家(ソ連邦)が、科学的認識と社会の歴史的発展の法則を熟知することを基礎に建設されているからには、社会を造形することは可能であり、また建設途中の社会から、新社会主義社会を汚染したり敵対しながら寄生する有害分子を摘出することは可能だ、という確信
ソビエト官僚と内務政治警察(OGPU)が紙の上で計画した空想的な植民は多くの餓死者をだし、植民による生産などは何も得られず、無残にも失敗。
シベリアでは飢餓と無秩序な暴力が蔓延します。
やがて失敗はスターリンの耳にも届き、この形でのシベリアへの計画追放は中止されるのですが*1。
制度としての共産主義は前世紀にはほぼ滅亡しましたが、社会を理論によって思うままに改造できる、優れた人間は、劣った人間、役に立たない人間を「選別」して除去可能であるという思想は今日でもしつこく登場してきます。
多くの人々の犠牲に思いをいたすとき、この思想の誤りはしつこく指摘しておかなければならないとあらためて。
本書、比喩ではない文字通りの「共食い」のお話がでてきますので、苦手な方は読む際にご留意ください。
念のため、申し上げます。