すらすら日記。

すらすら☆

異なる人々と一緒に働くということは。

本日のお題はこちら。

チームのことだけ、考えた。

チームのことだけ、考えた。

伝統的な日本の大企業は、中軸となるのは男性ばかりで、その男性の中でも権限を持っているのは中高年の年齢層の人ばかり。
そのため社内の価値観の同一性が高く、多様化した社会のニーズをとらえることができずに企業業績が悪化して行く・・というようなことがよく語られております。

しかし、その男性の中にも一枚めくれば多様な価値観が内在していて、ちょっと自由にさせてあげれば面白いネタが湧いてくるのではないか・・とも感じております。

私自身も規制業種の大企業に勤める中高年男性ですが、社内では表に出していないこと、たくさん考えてますからね。

問題は、それを上手く救いあげることができない、会社の仕組みなのかもしれません。


さて、本書はグループウェアで成長したサイボウズの創業者が青野氏が書いた本です。

よくありがちな、成功したベンチャー経営者が書いた再現性のない自慢話ではありません。

働くということ、特に組織でチームを組んで働くということはどういうことなのか。

そのことを考えるうえでのヒントが満載です。


社会の均質性はとうに失われてしまっています。

なので、会社もそれぞれ異なる人々がたまたま集まっております。

人生の多くの時間をすごすその場所で、一緒に働くということをどうすれば上手くやれるのか。

その悩みをかかえる多くの方に何か得られるきっかけを提供してくれる1冊だと思います。

ご一読をおすすめいたします。


「地域銀行が本業では経費を賄えなくなってきている」という報道について。

昨日、日本銀行から金融システムレポートが公表されました。
金融システムレポート(2016年10月号) :日本銀行 Bank of Japan

これを受けまして、報道各社はレポート内容を要約して報道しておりました。
報道内容としては、NHKなどによる「銀行による不動産業向け融資が増加、これを注視する必要あり」というものと、「地域金融機関の半数が本業では利益で経費を賄えなくなっている」というものが目に付きました。

このうち、後者につきましては報道記事では説明が不足しており、金融システムレポートの内容を正しく伝えておりませんので、以下で少々、補足しようと思います。

報道されていた部分を引用しますと、こちらになります。

実際、地域金融機関を中心に、預貸金収益と役務取引等利益では経費を賄えない金融機関が増加しており、信用コストが何らかのショックで上昇した場合、コア業務純益ではカバーできずに赤字に陥りやすい状況になっている(53頁)

こちらを28年3月期決算短信から財務データを拾って検証してみました。
例として、長崎県十八銀行高知県四国銀行を取り上げております。

十八銀行 四国銀行
貸出金利 収益(+) 19261 21053
預け金利 収益(+) 95 75
役務取引収益 収益(+) 6852 6874
金利 費用(△) △ 1089 △ 1401
役務取引等費用 費用(△) △ 3373 △ 1984
預貸金等利益 - 21746 24617
経費(人件費・物件費・税金) 費用(△) 23567 24885
差額 - △ 1821 △ 268
(参考)有価証券利息配当金 収益(+) 10291 10066

日本銀行の定義によりますと、確かに預貸金利息差額+役務取引等利益では経費を賄えなくなっています。
しかし、この計算ではいちばん下の欄に記載しました100億円程度の有価証券利息配当金を無視しております。
もちろん、両方の銀行とも赤字ではありません。
十八銀行は6,575百万円、四国銀行は6,309百万円の黒字を確保していますね。

この計算は、銀行の損益計算書から一部の項目を抽出して並べただけで、何度も繰り返し報道される「金利が1%上昇すると保有する国債に●兆円の評価損失」と似て、「計算しただけ」です。

もちろん、貸出金収益は利回り低下により年々、細ってきております。

そのことは淡々と事実として指摘し、対応策を考えるべきであって、数字遊びのような警鐘にあまり意味があるとは思えないのですが・・

状況が非常に悪いことは当事者である地域金融機関もしっかり自覚しているはずなので、事実に基づいた対応策を立案していくことでしょう。

そのためには、一面的な報道により惑わさなければいいのですが・・


【追記】
なぜ金融システムレポートでは、「有価証券利息配当金を含めないで経費を賄えるか」ということを警告しているか推測してみます。
マイナス金利導入後、もはや新規の債券投資ではプラスの利回りは難しいことと、
以前より有価証券利息配当金には非上場投資信託の解約差益が相当程度、含まれておりこれは市況に大きく左右されるためではないかと。
執行部の金融政策を正面から否定するわけにはいかない制限のなか、金融システムレポートをまとめた日本銀行事務局の苦しさも読みとれるような気がします。

粉飾決算の典型的手法と監査の限界について。

東芝粉飾決算などをとりあげた「会計士は見た!」の著者、前川公認会計士の新しい本が出ておりましたので、「なぜ、監査で粉飾を見つけるのが難しいのか?」ということを少々。

事件は帳簿で起きている

事件は帳簿で起きている

利益を実際より良く見せようとする場合、収益を多く計上するか、費用を少なく計上するしかありません。

たいていの場合、不正の方法は売上の過大計上か、前倒しです。

現代の企業会計は、複式簿記という技術で処理されます。

「複式」簿記ですので、帳簿に記入する際は、二つの勘定科目を動かさなければなりません。

売上を実際より多く計上する場合、必ずもう一つ相手勘定が必要になります。

多くの場合、売掛金の架空計上か、棚卸資産の架空計上ですね。


会計監査がありますので、売掛金棚卸資産もその「実在性」の監査を受けます。

しかし、膨大な計数の売掛金棚卸資産について、監査にあたる公認会計士が実在性を全件照合することは現実には不可能であり、金額の大きい順であったり、ソフトを使用したランダム抽出をしたりした指査により監査が行われています。

その際、売掛金の相手側(取引先)に対して、実在性を郵便で確認する手続きも行われます。この「残高確認手続は第三者による証明ということで非常に証拠力が強いものですが、これすら取引先が粉飾決算に協力して嘘の回答をよこす場合もあり*1、100%実在性を確認することはできません。

また、残高確認手続を行わず、会社内で保存されている書類だけで監査する場合は、会社ぐるみで隠蔽工作を行って架空契約書・架空請求書・架空納品書などを用意されれば、見抜くことはまず不可能ですね。

棚卸資産についても、倉庫で在庫をすべて数えることも不可能で、これもサンプル抽出になりますので同様の問題があります。


一方、預金口座の残高を偽ることは非常に困難です。

預金口座については、売掛金ほど件数がありませんので、先ほどの残高確認手続は全先に行われます。

しばしば粉飾に協力する売掛の取引先とは異なり、銀行は金融機関として自らの被監査企業の債権者であることが多く、粉飾に協力する動機はありませんので、嘘の回答を返してよこすことはありません。*2


売掛金棚卸資産をごまかしても、預金残高を偽ることは難しい。

そうなると、粉飾を行っている企業の損益計算書の利益は黒字になっているように見えても、キャッシュ・フロー計算書の「営業活動によるキャッシュ・フロー」はマイナスになっていることが多くなります。

稼いで利益を上げているはずなのに、本業では現金を稼げていない。

これは、辻褄が合わないわけです。*3

また、損益計算書とキャッシュ・フロー計算書の間の矛盾だけでは無く、売掛債権回転率や棚卸資産回転率など、財務指標の理屈も合わなくなります。

例えば、架空の売掛金はいつまでたっても回収されませんから、売掛債権回転率がどんどん悪化して行ったりするわけですね。


上記は架空売上計上という単純な粉飾の手口ですが、それでも会社側が本気で隠蔽しようとすれば、限られた時間と人員で監査を行っている公認会計士が見抜くことはなかなか難しいです。

公認会計士には、税務調査や犯罪捜査のような強制力もありませんので。

さらに、東芝オリンパスのような巨大企業になれば、海外にトンネル会社を作ったり、金融技術を行使して実態を見えにくくするなど複雑な粉飾テクニックが用いられることもありました。


ただ、そのような「努力」を傾けて粉飾を行うと、会社の本当の財務状態が経営者自身にもよくわからなくなり、本当に会社を立て直すための効果的な対策を行うことが難しくなります。
また、粉飾行為に社内資源を投入するため、前向きな仕事をする時間が減ってしまう。

何も、いいことはありません。


また、本書では、「会社のためだった」という粉飾発覚の際に必ず聞かされる言い訳は「業績悪化による解任を恐れる経営者の保身」に過ぎない。
そう繰り返し述べられております。

実際の社名、実際の事件をあげて解説されております。

会計の専門知識がなくても読みとおせる本であると思いますので、ぜひ。



こちらもどうぞ。
sura-taro.hatenablog.com

*1:互いに粉飾に協力し合う、架空循環取引というものもおしばしば起きています。

*2:例外的に、海外の銀行が協力して嘘の回答を出したケースもありました。

*3:金融業では当てはまらないケースもあります。例外です。

長期的な金利低下傾向が銀行収益に与えた影響と今後について。

証券アナリストジャーナル」10月号に掲載されていた植田和男教授「マイナス金利政策の採用とその効果」を興味深く読みましたので、そのうち、金利低下と銀行経営に関する部分を引用し、少々解説したいと思います。

目次だけこちらで参照できますね。
www.saa.or.jp

バブル崩壊後、1990年代後半以降、長期金利は時々の上下動はありつつも、長期的なトレンドとしては一貫して低下傾向にあります。

植田教授はこのように述べています。

債券関係の評価益をより長い期間から見ると、1990年代後半以降長期金利がならしてみれば低下を続ける中で、銀行をはじめとする債券保有主体は機動的な売買によって大きな利益を享受してきた

金利が低下した場合、固定利付債券の価格は上昇するという関係を想起してください。
国債は固定利付債であり、市場金利が低下すると銀行が従前から保有していた相対的に高い約定利率が付いている国債の価格は上昇します。

つまり、長期金利が低下するトレンドの中、銀行は黙っていてもその保有債券に含み益が溜まっていくという構図になっていたわけです。

この含み益は、貸出金利回りの低下による収益目標未達成を補ったり、貸出先の不良債権化による貸倒損失、リーマンショック時の株式や不動産向け投資商品の価格下落による減損処理などの損失の穴埋めすることに使われたりするため、その場その場で、機動的な「益出し」に使われてきました。*1

植田教授はその影響をこう述べています。

債券からの直接の利息収入を除く債券関係損益は、1997年から2015年までの期間の全国銀行の税引前利益の約20%を占めている

その後、マイナス金利政策が導入され、一時は長期金利(10年)まですべての利回りがマイナスになってしました。
マイナス金利下でも、金利低下と債券価格の上昇の関係は変わりません。
個別銀行ごとに含み益の水準に多寡はありますが、銀行セクター全体では、まだまだ国債の含み益を温存できております。
しかし、金利環境下では、含み益を実現してしまう(国債を売却してしまう)と、再投資先がなく困ってしまうことに。

植田教授は次にこう論じています。

こうした構造が今回のイールドカーブ全体のゼロからマイナス化で消滅しつつあり、金融機関収益にとっては大きな問題である

植田教授の論文は、今般の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の前に執筆されたものです。

「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」では、短期金利はマイナス0.1%~長期金利(10年)はゼロ%前後とすることでイールドカーブを「立てる」ことを目指すものです。

イールドカーブのスティープ化が起きても、最初に述べたような趨勢的な金利低下が復活するわけではありません。
銀行にとって、金利低下による収益の源泉は失われているとみてよいでしょう。

マイナス金利の深堀りはさらなる銀行収益の悪化を招くとの意見もあります。

しかし、金利の低下は一方で保有債券の価格上昇という効果ももたらします。

今後について、注視したいと思います。


*1:もちろん、従来から保有し続けていた国債の益出し売却だけでは無く、金利の上下動を予想し新たに購入した国債をタイミングをみて売却することによる収益獲得も行われたことでしょう。

大部分は「どこかで読んだ話・誰かから聞いた話」の繰り返しだけど。

時に暴力を伴う過激な政治活動に没入する青年活動家の言葉として、「本なんか読むと、自分の中の信念が損なわれるからいっさい読まない。それよりも行動だ」という趣旨の話を読んだことがあります。

青年活動家による「読書という行為」への批判は、元から自分の中に固定されている考えを確認・補強するためだけに読書をしている方を念頭に置いて行われているのではないかと思われます。

その活動家は、読書をしてこなかったわけではありません。

古今東西の万巻の書を読み、考え抜いて発言していたにもかかわらず、自らの政治信念を実現するためには、なんら無力であった。

その悔しさから、最初の言葉になったとも聞きます。

自分自身を顧みても、そのような読書の仕方をしている傾向は否定できません。

既存知識の確認・補強だけではなく、新しいことも知るために、まったくの未知のものへも触れるようにはしていますが、やはり、好きな分野・既知の分野が中心になっていますからね。

また、本を読んでいろいろ発言しても、それはその時々の切り抜き断片だけを引用しているだけで、自分で考えているわけではないのかも、と。

私がこうして書いている文章も、大部分は、どこかで読んだ話・誰かから聞いた話の繰り返しです。
でも、今だけは、一部だけは、自分で考えて、発言しているつもりです。

小さな一個人の行為としては、それくらいで限界なのかもしれません。


本日の参考文献はこちら。*1


*1:冒頭の青年活動家は、鈴木邦雄氏ではありません。

再び、本を読むことについて。(積読の発生原因など。)

公共図書館大学図書館では、図書整理期間や長期休暇の際、いつもより多め・長めに本を借りられることがあります。

そこで、ふだんは読めないような量を一気に借りてきたのですが。

結局、ほとんど読みませんでした。

その間、読書が止まっていたわけでは無いのですが(別な本は読んでいました)、なぜか、手がつきませんでした。

私はいろいろな分野を脈絡なく読んでいるようにみえて、実は前に読んだ本の「続き」や「関連」を辿って次に読む本を選んでいるらしく。

どうやら、まとめて借りてきた本は、その「読書のチェーン」に入っていなかったようです。

思うに、本を買っても「積読」になってしまう原因は、その瞬間は持っていたその本への関心の繋がりが、切れてしまうからではないかと。

調べ物に使う本で無い限り、一度、積読になってしまった本を読み始めることはまず、ありません。

本棚のスペースには物理的な限界があります。

図書館の本は返却すればいいのですが、購入して積読になったものは、処分しております。

読書の興味の連鎖に入ってきたら、また購入すればいいだけですから。

こちらもどうぞ。
sura-taro.hatenablog.com


部下を信頼して「仕事を任せている」状態について。

よく、「部下を信頼して仕事を任せることが、その部下の成長に繋がる。やり方を一から十まで全部指示したり、途中で口を出したり、ましてやできないからといって仕事を取り上げてしまってはいけない」という旨の意見が聞かれます。

これは、多くの場合、当たっていることと思います。

部下のやる気を奪う原因は、なんでも自分で決めないと気が済まない上司の存在や、仕事の進め方についての狭い裁量などにあると聞きますので。

このことを知ってか知らずか、上司の中には、ほとんど仕事のやり方の指示を与えることなく、途中経過も確認しない方もいるようです。

この上司は、「部下を信頼している」ため、最後の決裁承認も中身も見ずに黙ってハンコを押すことに。

一方、部下からすると、この上司は「仕事も部下も放置している」ようにしか見えません。

仕事の着手時点、途中経過に何も聞いてくれず、最後も中身も見ずに承認。
これでは、部下の仕事の価値をわかってくれているかどうか、不信を抱いてしまうでしょう。
部下が危機感を持って、途中や最後に説明しようとしても上司は生返事で聞いてくれない。
こうなると、部下の不信感は決定的なものになってしまうことに。

ところが、上司は「部下を信頼して仕事を任せている」つもりなので、部下が不信や不満を抱いていることに気付きません。

これは、同じ事象を見ていて、それぞれの立場により違って見えているだけなのでしょうか。

本日の参考文献はこちら。



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