すらすら日記。

すらすら☆

第一歩は、聞くことから。

スタッフが報告したり、問題点の解決を求めて相談にきたりしている時に「説明がわかりにくい!もっと簡潔に」と遮ってしまう管理職がよくいます。

管理職は、多くの判断をこなさなければなりませんから、そのような長い説明は聞いていられない!というのも一面では理解します。

しかし、分刻みのスケジュールで働くトップマネジメントならいざ知らず、第一線のスタッフの説明を聞く立場の管理職であれば、まずは「じっくり聞くこと」が大事ではないかと。

説明を途中で遮ってしまう管理職が説明を聞いていられないのは、



スタッフの使う専門用語についての知識が欠落しているのか

理解力が乏しいのか。



説明が長い、わかりにくいと遮ってしまう前に、自らを顧みる必要があるのではないでしょうか。


私だって、スタッフがやっている仕事を100%、再現できるほど精通はしておりません。

わからない言葉も出てきますし、堂々巡りしてしまう説明の場合もあります。

でも、その時は、いったんは通して聞いてから

その言葉は何のことなのか、なんの問題で困っているのか。

根気よく、繰り返し聞いてあげたい。

コミュニケーションの第一歩は、話すことじゃなくて、聞くことから始まるのではないかと考えております。


期待がなければ、失望もありません。

部下は、みんな上司のことを不満に思っているのではないでしょうか。


仕事をきちんと教えてくれない。

管理職なのに、業務知識が欠けていて変なことを言いだす。

課長なのに、リーダーシップが無い。

部下に丸投げで、自分は責任逃ればかり。


などなど。

この不満は、上司たるもの、部下を親身に指導し業務知識に精通しておりリーダーシップを発揮して仕事の結果責任を取る。

こういう理想像がどこかにあって、それと実際の上司の姿が異なるから不満を持っているのでしょう。

しかし、あなたの上司は、書物に登場するようなカリスマ経営者ではありません。

たいていの上司は、能力が優れていて管理職の適性があるからという理由で選ばれたのではなく、

消去法で、

よりマシな方ということで、

単に運が良かったから、

特に理由もなく

あなたの上司としてそこに置かれているに過ぎないのではないかと思います。


期待するから、理想像と違うから、失望する。

あまり多くを期待せず、自分と同じ弱点を持ったごく普通の人間だと思って接すれば、失望もありません。

カッコいい理想の上司は、書物のなかにでも求めておくくらいにしましょう。


諦めて、自分の職務範囲を限定してしまう中高年社員について。

わが国の職場は、それぞれのスタッフの職務範囲が不明確、つまり「ここまでやればいい」というラインがあいまいなため、際限なく仕事が降ってきてブラック化してしまうとも聞きます。

逆の方向で、中高年社員に多いのですが、正社員であるにもかかわらず「自分の仕事はここまでだから」と自分一人で勝手に決めてしまい、それを超えることは上司の指示があろうともぜんぶ拒否する、という現象も観察されます。

このように、自分で自分の職務範囲を独自の見解をもって狭く狭く決めつけてしまう類型は、昇格昇進が望めなくなっている年次の中高年社員に多いのではないかと。



周りにいる若いスタッフは、成長しようと新しいことにもどんどん挑戦している。

でも、勝手に諦めている中高年社員は、挑戦どころか、自分の独自の職務範囲から一歩でも外れると拒否してしまう。

もはや、新しいことを覚えるつもりも無くしてしまったのでしょうか。



その人も、若い頃は仕事に燃えていたのかもしれません。

それとも、最初から「俺は出世には興味はない」とか言って斜に構えていたのかも。


過去に戻ることはできませんので、その辺りの真実はわかりません。


仕事に対する価値観は人それぞれ様々です。

でも、私個人としては、あんな風にはなりたくないな、と観察しております。




「いじる」という作法が許される関係と環境について。

最近、チームで仕事をするうえでは部下のプライベートまで気に掛けているのだ、ということを示すリーダーが望ましい、その方が成果があがるというビジネス書の記述を読みました。

私個人は、職場はあくまで仕事をする場所だと思っていますので、過度にプライベートに踏み込むような会話はしないようにしております。

もちろん、家族が急な病気になって休まなければならなくなったとか、保育園の送り迎えなどのプライべベートな事情には最大限配慮はしておりますが。

そういうプライベートへの配慮と、触れてはいけないような家庭の事情への「いじり」が区別できていない場面が。


たとえば、急に飲み会に誘って断ると


「奥さんが怖いのか!弱いなあ」

「このヘタれ」



夫婦関係は人それぞれですし、家庭内でどのようなルールがあるのかは伺い知れません。

そういう会話をやっている人同士は友人関係?なのかもしれませんが、周りで聞いている多くの人の立場としては、自分も同様の「いじり」を受けたら嫌だな、と。

やっている人同士は、他愛ないじゃれないなのもしれませんし、そうではなくて、いじられている方は傷付いているのかもしれません。



もし、「いじり」をやれないような関係性なら、ただの職場内いじめです。

友人関係同士で「いじり」をやるなら、周りに聞こえない場所でやって欲しいと思います。


ここは、仕事をする場所に過ぎないのですから。



苦しくなければ、労働じゃない?

自己啓発であっても、使用者の明示または黙示の指示があれば労働時間となる」という厚生労働省の指針についての記事が話題になっていますね。

www.nikkei.com

私は労働法については専門家じゃありませんが、使用者の指揮命令下にあれば労働時間だ、という知識くらいはもっております。

以下のお話は、法律論からみたらおかしいのでしょうが、個人的な感想レベルということで。

私にとって労働というのは、


知識や理解力のない他部門や経営まで含めた管理者に「ご説明」したり

自分の考えに固執して従前のやりかたを絶対に変えようとしないお局様を説得したり

若手に変なことを吹き込んだり無意味に脅したりする中高年の暇な人の影響を排除したり。


こういうつらく苦しいことが労働であって、金融・会計・税務の専門知識を使って問題を解決したりするのは「労働している」という感じではありません。

なので、金融や会計の専門知識を習得してアップデートしているのを労働の一部だと言われると、なんだか違和感が。

そもそも、経営管理者から「勉強しろ」とか、言われませんからね。

実際には、前に挙げたつらく苦しいことと、専門知識による問題解決と、両方に対して賃金が支払われているのでしょう。

金融業界だけではないでしょうが、毎日、新しいことを勉強していないとまともに働くことは難しいです。

どこまでが労働時間で、賃金が支払われるべきなのか。

労働法の専門家の意見も待ちたいと思います。


ウェブ上で、虚偽・大げさ・誤誘導を職業とする人に騙されないためには。

ネットには無料で読める膨大な情報が転がっています。

そのため、勉強なんかしなくても必要な時に調べられればそれでいい、という意見も強いですね。

ところが、その分野についてある程度の基礎知識がないと、入力すべき「キーワード」がわからない。

そして、目指すウェブサイトに辿り着けない、ということに。

また、キーワードがわかっていたとしても、情報の真贋を見極められる知識がないがゆえに、悪質なデマをばらなく自称評論家の無責任な記事に引っ掛かってしまったりも。

同じウェブの公開情報から、ある人は信頼性の高い情報を素早く引きだすことができるのに、ある人はインチキなまとめサイトの情報を鵜呑みにして迷路に迷い込んでいる。


無料のウェブ情報の海から、「必要な時に調べる」ことが可能になるためには、


基礎をあらかじめ学んでおくこと、

情報の真贋を見極められるような常識的判断力を身につけること。


これが必要なんだな、と。

一部閉鎖に追い込まれたところはあるけれど、ウェブには虚偽、大げさ、誤誘導を狙った情報が氾濫しております。

虚偽・大げさ・誤誘導を職業とし、それで食べている人は、情報に弱い人を騙すために必死です。

騙されないためには、無料では学べないかもしれないことをウェブの外で身につけてから。

そんなことも必要なのかもしれません。


働き方改革において、その方法を考えるのは経営者と中間管理職の役割です。

効率よく仕事をこなして残業を減らそう、というのは掛け声だけはありましたが、電通事件と政府の働き方改革という呼びかけもあり、まもとな企業であれば、さらにプレッシャーが強くなっているのではないかと思われます。

残業時間を測定して、「減ってない!なんとかしろ」という圧力のようなものまで感じられるような。

こんな中、現場の中間管理職が、なんら業務フローを見直しすることなく、ただ上から言われている残業削減の圧力を現場スタッフにそのまま転嫁するとどうなるでしょうか。

その結果は、ただ単に現場スタッフの労働密度が濃くなり、次第に精神的、身体的に疲弊していく・・というものになってしまうのではないでしょうか。

中間管理職は、現場ではそれなりの裁量権を持っております。

残業を減らすために、その裁量権を使ってやれることはたくさんあります。



部門内で負担になっている煩雑な事務フローを改善する。

無理な納期を言ってくる取引先と交渉する。

部門内の「ご説明」「ご報告」などの意味のない儀式を止める、簡素化する。

確認のためだけの会議や資料読み合わせだけのうちあわせを止める。


こういう地道な改善にも取り組まず、ただ「自分たちで改善する方法を考えろ!」と怒鳴るだけの経営者、中間管理職もいるのでしょう。

スタッフは仕事の進め方について、裁量権をほぼ持っていません。

そうなると、残業削減は、単なる労働強化・高密度化となり、組織は疲弊するだけに。



掛け声だけの働き方改革は、疲弊がある一点を超えれば破綻へと至るでしょう。

考えるのはスタッフではありません。

その方法を考えるのは、経営者と中間管理職の役割ではないでしょうか。



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