今日の嘘は必要なものであったか、顧みるというお話。
人生の日々において、誰しも小さな嘘を積み重ねているのではないでしょうか。
職場・学校でも、家庭内でも、嫌いな人に面と向かって「お前のことが嫌いだ」などと正直な言葉をぶつけるはずもなく、内心では嫌だと思いつつ、表面ではにこやかに対応しているのが平均的な方の姿ではないかと思われます。
この場合は、むしろ正直な物言いは相手を傷つけることになり、小さな嘘は必要な善であり、それによって人間関係が守られていると言えるでしょう。
さて、営利企業に限りませんが、何か目的がある組織などでは、時に嘘で表面を取り繕うのではなく、その組織のために正直に相手の至らない点・誤っている点を正直に指摘する場面が必要になるかもしれません。
もちろん、その目的が、正直な指摘により相手の気持ちや人間関係を犠牲にしてもよいか、比較衡量は必要だと思います。ただ好悪の感情をぶつけるのは問題外ですね。
ところが、正直な言葉が必要な場面でも、嘘を重ねて、表面的な平穏さを維持しようという方も多くみられます。
「そんな厳しい指摘をしたら彼は傷つく。黙っていよう」
「上司の不正に気付いたが、事を荒立てなくない」
結果、問題はどんどん悪化し、発覚する頃には取り返しのつかない段階になることも。
こうなると、嘘は必要ではなく、誤りとなるでしょう。
今日、吐いてしまった嘘は、必要な、許されるものでしょうか。
自分自身を顧みています。