表面の綺麗事と、内心の本音の出現頻度について。
誰しも、他者からは「善良な人間である」と評価されたいと願っていることと思います。
そう思われていた方が、敵も作らず、安全ですから。
そのため、思ったことをそのまま発言するのではなく、本音は内心に秘めたまま、綺麗事・建て前論を並べてしまうことになるのではないかと。
羨望とか嫉妬があったとしても、それを隠して、「そんなのは気にしない」というふうにふるまうとか。
何か、怒りを感じるような人物のふるまいがあったとしても、目を逸らして立ち去るなど。
私も、むやみに他者との間で波風を立てることを望みませんので、本音をさらけ出して言いたいことみんな言葉に出しているわけではありません。
それは、ほんのひと時、すれ違うだけの人間関係ならなおさらですし、親しい知人関係や、家族の間でさえも、本音は内心に秘めておく行動は、程度の差はあれ、同じですね。
これをずっと続けていると、なかなかにストレスが溜まりますので、たまには、本音を言ってみたいということも心をよぎります。
でも、ネットでいつも何かに本気で怒って、何かと戦っている人々を見かけるに、あれはあれで別な性質の疲れを感じるのだろうな、とも。
要は、表面の綺麗事と、内心の本音の出現頻度についての、程度の問題なのかもしれません。
なので、私もこんなところでいろいろ書き散らかしております。
それで、上手く精神状態をコントロールできているのではないかと思います。