捨てられない人は、変われない。
職場で古くなっている書類のファイルを整理しております。
出てくる出てくる・・平成に入ってからもう30年近く経つのに、昭和時代のB5サイズの手書きの書類。
平成ひとけた代の、何に使われていたのか定かではない契約書の写し。
もう経営破綻してしまって存在しない銀行が、まだ健在であった頃に差し入れられた契約書類のコピー。
その書類はいろいろな理由で保存しておかれたのでしょう。
「何かあった時に使うかもしれない」
「念のために契約書はコピーを取っておこう」
しかし、「何か」は起きず、「念のため」にとっておかれた書類は、誰にも顧みられることも無く、外が暑い日でもひんやりする書庫で眠ったまま。
捨てることには勇気が要ります。
そして、これを取っておくことに意味があるかないか、考えて判断しなきゃなりませんから。
現状のまま変化することを望まない人は、思考停止して「捨てない」ことを選び、コピーのコピーを綴じたファイルを積み上げて束の間の安心を得られたのでしょうか。
変われなかった人々は去り、私は古い書類の前で立ち尽くしております。
会社での専門研修教育は誰のため?
「大学教育は個人利益なので税金(公費)を投入して無償化するのは望ましくない」という財務省の見解が報道されて話題になっております。
私は大学教育などの効果については知見がありませんので、こちらの是非について直接の意見は控えたいと思います。
ただ、こちらの報道を聞いてふと昔のことを思い出しました。
会社の仕事で必要な知識を学ぶために、専門的な外部セミナーなどに会社経費を使って派遣される際に・・
「勉強したことは個人の知識になるのに、なぜ経費を掛けるんだ、自分で行けばいいだろう」
などと文句を言う人がいたことを。
さすがに、お金を掛けて社外に派遣し、専門知識を勉強させなければ日常の仕事すらできないということが理解されたのか、今では、そんなことをあからさまに言ってくる人はさすがにいなくなりましたが。
でも、「みんなが同じでなければ気が済まない」という強烈な同調圧力がある組織であるのは今でも変わりません。
隣の人も、何も学ぶことがなく、自分と同じく無知なままでいて欲しい。
新しいことを勉強しようとする人を「辞めるつもりなのか」などと揶揄してくる。
本音ではそういうことを思っている人が組織の多数を占めているのかもしれません。
「同一労働同一賃金」の社会的費用が帰着する先は・・
本日のお題はこちら。
- 作者: 山田久
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2017/02/24
- メディア: Kindle版
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昨今、「働き方改革」というものが叫ばれておりまして、その前提として正社員と非正規社員の格差をなくすための「同一労働同一賃金」というのが、総理からも目指すべき目標として提示されています。
もともと、欧州では同一労働同一賃金とは、「同一価値労働同一賃金」として掲げられておりました。
これは、わが国政府が目指しているような正社員・非正規社員の経済的格差の是正を目指すものではなく、本人の努力や意思では動かしようがない人種や性別により賃金などの労働条件の格差があってはいけない、という「公正さ」追求目的あったことが紹介されています*1。
著者は、欧州では教育費や介護費用などについて公費負担の割合が大きく、わが国の賃金カーブが(大企業正社員に限り)右肩上がりなのは、教育費などを私費で負担することが前提となっていることも指摘しています。
これらの指摘を踏まえますと、この社会保障制度などの仕組みや人々の意識を変えないまま、同一労働同一賃金を強行してしまうと、どうなるでしょうか。
その帰結として、相対的に余裕のある大企業の体力を削るだけに終わり、所得税や、厚生年金保険料や健康保険料の負担と同じように「狙い撃ちしやすい」「取りやすい」ところである大企業だけに社会の費用を帰着させるという結果になるのではないか。
大企業というのは法人であり株式会社です。
短期的にはこの費用は株主が負担しますが、長期的にはもっとも動きにくい大企業正社員の処遇悪化に至るのではないか。
その方式は、もはや限界に達しているのではないか。
そんなことを感じております。
*1:このためドイツが例に挙げられ、経済的な賃金格差は広がっていることがデータで示されています。
それぞれの限界を見極めたいお話。
「難しくみえる仕事でも、手順を追って教えて訓練すれば誰でもできるようになる」
「人間の能力の向上に限界はない」
努力すればできるようになる、という学校教育の影響なのでしょうか。
このようなことは広く信じられており、職場でも同じようなことを言われたことがあるのではないでしょうか。
しかし、これは誤りではないかと。
職場に配属された新人も「必ずできるようになる」と言われて次々に新しい仕事を割り当てられます。
新人自身は、自分の限界というものはわかりませんし、プレッシャーを受けてやろうと努力します。
新人も苦しそうに見える時もありますが、上司自身も「やればできる」という信念を持っており、自分自身もこなしてきたという自負もあり、続けさせる。
どこかで破綻がきます。
できない人にはできないし、上司には簡単に見える仕事でも新人には著しく困難。
新人自身も同じ「やればできる」と信じて続けると、どこかで精神か身体が壊れてしまいます。
時には、「苦しい」というサインすら出さないまま。
深夜までの賃金不払い残業などは論外として、定時+1~2時間程度の残業でも仕事の難しさが一定レベルを超えると、人間はあっけなく、壊れてしまいます。
限界はそれぞれですし、その閾値は意外に低いのではないかと最近感じております。
第一義的には、その限界を見極めなきゃならないのは仕事を割り振る上司ですが。
自分自身でも、その限界を知る必要があるのではないかと。
そんなことを感じています。
アルバイト・パートスタッフも「アットホームな職場」は求めていないというお話。
本日のお題はこちら。
- 作者: 中原淳,パーソルグループ
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/10/31
- メディア: Kindle版
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どこの職場でも、アルバイト・パートのスタッフなしに仕事が回らないでしょう。
本書は、アルバイトの採用・育成に特化した入門書です。
よくある「俺はこうやって成功した」みたいな個人的経験を一般化しようとするものではなく、中原東大准教授の「人を育てる科学(学術的知見)」と、大規模な社会調査*1でデータを集め、それを科学的に分析して書かれたものです。
某弊社は学生アルバイトに働いてもらう業種ではありませんが、主婦パートはたくさんおります。
正社員ではない職制の方への仕事の指導は日々悩んでおりますので、何かヒントを得られるのではないかと読んでみました。
アルバイトの募集、採用ステージ、新人として仕事を始めるステージ、一人前になるまでの中堅ステージ、職場のリーダーとなるベテランステージまで、採用、育成について述べられております。
詳しくは本書を読んでもらうとして、一つだけ興味深かった点を。
従来の経営者向け・リーダー向けの本では、上司がスタッフのプライベートなことまで相談に乗ることでチームワークが高まる、などと書かれていることが多いです。
しかし、社会調査の結果、アルバイトの定着のため、短期間での離職防止のためには、「職場の仲の良さ」は離職防止にはあまり効果がなく、むしろ、職場の改善を提案できるなど、真面目な人間関係が存在すると定着して良い仕事ぶりになるとの知見が紹介されています。
「アットホームな職場」は求められておりません。
多くのアルバイト・パートも職場改善につながるコミュニケーションなどの真面目な人間関係を重視している。
こちらの調査結果につき、皆さんはどう感じられるでしょうか。
事例はアルバイトが多い外食産業などが多いですが、その他の業種でもパート・アルバイトがいないところはないかと思いますので、何かしらの示唆を得られることと思います。
人の使い方に悩む管理者の方にお勧めできる一冊です。
*1:大企業7社、約25000人からデータを集めております。
その場の状況への「反射」だけで生きていかないように。
関連する専門書をいろいろ読み漁ってもなかなかピンとこなかった事案について、実務で1回経験したら「あっ、そういうことか」と疑問が解けることがあります。
理論書を10冊読んだところで、実務を1年こなして得られるものに勝るものはない。
これも一面の事実ではあります。
でも、常にアンテナを張って新しい知識をインプットしていかないと、経験できる実務というのは欠片の積み重ねでしかなく、その意味するところ、本質が何かなどというものは理解できません。
思うに、実務経験は、書籍や論文で詰め込んだ理屈を繋げてそれを整えてくれるのではないかと。
バラバラに読んでいた知識が「繋がった」という感覚ですね。
何もインプットをせず、経験できることだけで仕事をこなしているのは、いわば状況にその場その場で「反射」しているだけ。
ちょっと離れたところになる新しい知識に気付かず、すぐ目の前にあるものしか見ない、そんな人がベテランとして周りを威圧したりしている事象。
年を重ねて、ベテランと呼ばれている人もやがて反射スピードが落ちたり、打ち返す角度が曲がったりするようになってしまう。
そんな人にならないように、今日も何かインプットを続けています。
「頑張ります。」の方向性の不一致について。
懸命に仕事や学業に取り組んでいるのに、なぜか周りの評価を得られないという人がおります。
今まで「やる気がない人だなー」と思われていて、さらに、自分でもそのことを自覚している場合も。
そのことに内心、忸怩たる思いを抱き、ある時から「これからは頑張ります。」などと言い出すことがあります。
周りも期待します。
これからは、「頑張ってくれる」のだろうと。
でも、その「頑張ります。」というのは、周囲の期待にぴったりと合わせて振舞うことと同義ではありません。
その「頑張る」方向性、水準、本人のやりたいことと、周囲の期待とは得てして一致しません。
その不一致が明らかになった場合、また、周囲は「この人はやる気がない」と決めつけてしまうことも。
こんな気持ちのすれ違いがなくなれば、互いにつらい思いをすることを減らせるのかもしれません。
そのために、何ができるのか考えています。