安心するための小さな嘘は、一人の心のうちに留めたいというお話。
つらい事実を現実のこととして認めるのは誰しも受け入れがたいものです。
嫌な事実に出会ってしまった場合・・
「信じたくない」
「なぜ、私がこんな目に」
「何かの間違いだ」
という思いが沸き起こるのは自然なことと言えるでしょう。
それでも、なんとかその事実を受け入れて、気持ちを切り替えて行く。
事実の受け入れから気持ち切り替えに至るまでの時間は人それぞれとはいえ、多くはなんとかしていくものです。
ところが、世には都合の悪い事実を事実として受け入れず、自分の信じたい虚偽を信じ込む方も散見されます。
虚偽であっても一人心の中で信じているなら、何も害はありません。
むしろ、本人の心の安寧のために必要な部分もあるでしょう。
しかし、虚偽の情報を「事実なるものは嘘だ、こっちが真実」としてデマを流布したり。
あるいは、事実は認められない、「工夫しろ」「なんとかしろ」と他者に強要して事実を隠し、虚偽を強いる人々も。
一人で安心するため、心の慰めのための小さな嘘は許されると思います。
でも、デマを流したり、ましてや他者にまで虚偽を強いるのは何という罪でしょうか。