正義感が、憎悪と怒りに転換してしまっている人々について。
SNSを眺めていますと、「世界が自分の理想としている姿と異なる」と毎日毎晩、怒っている人々が目に付きます。
その人々から見ると、世の中は不正と理不尽に満ちており、為政者は民衆を窮乏に陥らせるために陰謀をめぐらしている、ということになっているようです。
実際には、世の中には、不正や悪はありつつも、それなりに善き意思を持った人々がいて、それぞれの仕事を分業することで維持されているのではないかと。
でも、毎日毎晩、何かに怒っている人は、その人の自分の中で想像して作り上げている歪んだ像が最初にあって、後はそれを証拠づける断片的な「事実」を自ら集めにいっているだけ。
良い面、善意の人々は存在しないかのように憤り、誰かを攻撃せずにはいられなくなっている。
完全な理想世界など、どこにも存在しません。
なぜ、有限な人生のなかで、あえて、不正や悪だけを自ら探しにいき、それに向かって怒ってみせるという不毛なことばかりしているのでしょう。
悪や不正を見逃せとは言いません。
緊急に解決しなければならない問題、捨ててはおけないこともあるでしょう。
最初は、素朴な正義感から始まったのかもしれません。
でも、不正や悪にばかり捉われ、さらには自分で虚像に過ぎない陰謀の存在まで想像して作り上げて憎悪を剥きだしにしているのにみるに。
憎悪と怒りが目的化してしまっている。
人の心は、こんなにも歪んでしまうものなのかもしれない、と。
その人々の心が、休まる日は来るのでしょうか。