「公正な社会」はとても残酷だというお話。
本日のお題はこちら。
- 作者: 前田裕二
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/06/29
- メディア: Kindle版
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「誰でもすぐに生配信が可能な、双方向コミュニケーションの仮想ライブ空間」SHOWROOMの創業者、前田裕二氏の半自伝的な一冊ですね。
前田氏は、早くに両親を亡くしながら、苦労して進学、投資銀行勤務を経て実業家への道を歩んだそうです。
本書に繰り返し出てくるのは、「生まれや育ちで人生が決められてしまうような不公正な社会を変えたい、努力すれば必ず道は開けるということを証明したい」という情熱です。
社会に公正さを求める気持ち、賛同したくなります。
しかし、「公正な社会」というのはある意味、残酷ではないかと。
公正世界信念、という人々に広く信じられている心理状態があります。
成功している人は、努力して成功に値する能力を示したから。
不遇な人は、努力が不足しており、能力が劣っているから。
世界は公正にできているので、成功や失敗にはきちんとした理由がある。
実際には、前田氏がいうとおり、世界は公正ではなく、生家が金持ちであれば高い教育を受けて成功しやすい。
貧しい生まれであれば、そもそも努力する機会すら得にくいという現実があるわけです。
では、前田氏がいうような公正な世界が実現したとしたら。
不遇な人が、「これは俺の努力が足りないのではない、社会の仕組みが悪いのだ」という慰めを得ることができなくなります。
公正な世界では・・
「不遇なの?それはあなたの努力が足りないからだよね。」
こんな残酷な現実に、人は耐えられるでしょうか。
前田氏の情熱には共感しつつも、そもそも努力が出来ない人、努力しても途中で挫折してしまう多くの人々を見てきただけに。
少し、躊躇いをもってしまうのです。