社会は、割とつまらないことでできているというお話。
以前、ネットで揶揄されていたような「意識の高い」若者という存在には、実際には遭遇したことはありません。
しかし、若手と呼ばれてる世代のスタッフが、こんなことを言いだすことがあります。
「こんなのただの事務じゃないですか!こんなくだらない仕事じゃなく、もっとレベルが高い仕事がしたい」
その若手は、知識不足なのか経験が足りないのか、「ただの事務」と蔑む仕事を満足にこなすことができません。
チェックすべきポイントを見落としてやり直しになってしまったり、そもそも根拠になっている法令や会計・税務の基準に通じておらず、まるで的外れな数字を出してきたり。
その人が言う「レベルの高い仕事」というのは、何を想定しているのかはわかりません。
推測するに、ギリギリの決断を下して企業の命運を左右したり、顧客に大きな価値をもたらして感謝と名声を得られるような華々しいビジネスシーンのことなのかも。
その人の視点からは、「くだらない仕事」が何層にも積み重なって、企業の活動が支えられて利害関係者に情報が伝えられたり、企業が顧客に利便性を提供しているのが「見えない」のでしょう。
そのくだらない仕事を支えているのは、ごく普通に働いている「つまらないおじさん」たちです。
もちろん、本当に「くだらない仕事」「ただの事務」というのは実在します。
でも、つまらないおじさんは、そのくだらない仕事・ただの事務についてしっかりと理解し、なんとか省力化できないか、効率化できないのか、頭を絞っています。
その地味な仕事の維持や改善が社会を支えているからです。
素晴らしいアイデアを生み出して、根本的な社会変革を起こすような人物でもない限りは、社会のなかで分業をきっちりと果たすこと。
そのことすらできないのに、仕事だけではなく、それを担っている人の人格まで優劣をつけて優位に立ちたいような発言をする。
若さゆえなのでしょう。
私自身も過去にきっとそうであったに違いないと苦笑いして、見逃すこととしたいと思います。
社会と会社における世代間格差への感覚について。
高齢者たちは、受け取っている公的年金について、「自分達が現役時代に納付していた年金保険料が積み立てられて、戻ってきている」のだという「感覚」をもっているようです。
高齢者たちは、「年金が減らされるかも」という薄っすらとした不安はありつつも、減額は国の政策の問題であり、若い現役層の「働き」が悪いから年金が減るという連想には繋がらないようです。
なので、政府の政策への不満を述べることはあっても、目の前の若い現役層に「お前らがちゃんと働かないから年金が減らされる!」などとは来ることはありません。
この感覚は、現実とは関係ない、錯覚です。
実際には、わが国の年金は上記の感覚とは異なって積立方式では無く賦課方式であり、高齢者が受け取っているのは自分たちの掛け金では無く、現役世代の年金保険料からなるわけですが*1。
さて、もう一つ、高齢者が受け取っている年金があります。
大企業で実施されている確定給付型の企業年金です。
本人の掛け金もわずかながらありますが、企業年金の大部分は、会社側からの持ち出しです。
特に、企業年金は4%程度という現在では考えられない運用利回りを前提としているものが多く、実際の運用成果との差額は会社が穴埋めしていることも社員はよく知っています。
なので、自分たちがもらっている企業年金が支給され続けられるかどうかは、会社の経営が維持されていることが条件であることも。
昨今は、定年後再雇用が当たり前となっており、60歳を過ぎてもう企業年金を受給している方が一緒に働いていることも多いでしょう。
そして、冗談のつもりなのか、現役層の若手社員に、こんなことを言うのです。
「わしの年金がちゃんと貰えるかは、お前らの働きにかかっているからな!しっかりやれよガハハ」
それを聞かされる現役社員には、もう同じ確定給付の企業年金は存在しません。
大きく給付水準を切り下げされてしまったり、確定拠出年金に切り替えされたり。
年金だけでありません。定年再雇用のおじいちゃんの経営判断ミスや先送りで、会社の現状がひどく苦しい状況になっている。
年金でも格差があり、仕事の苦労だけは押し付けられている。
会社の中では、社会においては高齢者たちの錯覚であからさまになってはいない世代間格差が目の前に現出しています。
無自覚に「しっかり働け」などと軽口を叩く高齢者世代と。
格差を呑みこんで働く現役社員。
この地獄が社会全体に広がらないことを祈ります。
捨てられない人は、変われない。
職場で古くなっている書類のファイルを整理しております。
出てくる出てくる・・平成に入ってからもう30年近く経つのに、昭和時代のB5サイズの手書きの書類。
平成ひとけた代の、何に使われていたのか定かではない契約書の写し。
もう経営破綻してしまって存在しない銀行が、まだ健在であった頃に差し入れられた契約書類のコピー。
その書類はいろいろな理由で保存しておかれたのでしょう。
「何かあった時に使うかもしれない」
「念のために契約書はコピーを取っておこう」
しかし、「何か」は起きず、「念のため」にとっておかれた書類は、誰にも顧みられることも無く、外が暑い日でもひんやりする書庫で眠ったまま。
捨てることには勇気が要ります。
そして、これを取っておくことに意味があるかないか、考えて判断しなきゃなりませんから。
現状のまま変化することを望まない人は、思考停止して「捨てない」ことを選び、コピーのコピーを綴じたファイルを積み上げて束の間の安心を得られたのでしょうか。
変われなかった人々は去り、私は古い書類の前で立ち尽くしております。
会社での専門研修教育は誰のため?
「大学教育は個人利益なので税金(公費)を投入して無償化するのは望ましくない」という財務省の見解が報道されて話題になっております。
私は大学教育などの効果については知見がありませんので、こちらの是非について直接の意見は控えたいと思います。
ただ、こちらの報道を聞いてふと昔のことを思い出しました。
会社の仕事で必要な知識を学ぶために、専門的な外部セミナーなどに会社経費を使って派遣される際に・・
「勉強したことは個人の知識になるのに、なぜ経費を掛けるんだ、自分で行けばいいだろう」
などと文句を言う人がいたことを。
さすがに、お金を掛けて社外に派遣し、専門知識を勉強させなければ日常の仕事すらできないということが理解されたのか、今では、そんなことをあからさまに言ってくる人はさすがにいなくなりましたが。
でも、「みんなが同じでなければ気が済まない」という強烈な同調圧力がある組織であるのは今でも変わりません。
隣の人も、何も学ぶことがなく、自分と同じく無知なままでいて欲しい。
新しいことを勉強しようとする人を「辞めるつもりなのか」などと揶揄してくる。
本音ではそういうことを思っている人が組織の多数を占めているのかもしれません。
「同一労働同一賃金」の社会的費用が帰着する先は・・
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昨今、「働き方改革」というものが叫ばれておりまして、その前提として正社員と非正規社員の格差をなくすための「同一労働同一賃金」というのが、総理からも目指すべき目標として提示されています。
もともと、欧州では同一労働同一賃金とは、「同一価値労働同一賃金」として掲げられておりました。
これは、わが国政府が目指しているような正社員・非正規社員の経済的格差の是正を目指すものではなく、本人の努力や意思では動かしようがない人種や性別により賃金などの労働条件の格差があってはいけない、という「公正さ」追求目的あったことが紹介されています*1。
著者は、欧州では教育費や介護費用などについて公費負担の割合が大きく、わが国の賃金カーブが(大企業正社員に限り)右肩上がりなのは、教育費などを私費で負担することが前提となっていることも指摘しています。
これらの指摘を踏まえますと、この社会保障制度などの仕組みや人々の意識を変えないまま、同一労働同一賃金を強行してしまうと、どうなるでしょうか。
その帰結として、相対的に余裕のある大企業の体力を削るだけに終わり、所得税や、厚生年金保険料や健康保険料の負担と同じように「狙い撃ちしやすい」「取りやすい」ところである大企業だけに社会の費用を帰着させるという結果になるのではないか。
大企業というのは法人であり株式会社です。
短期的にはこの費用は株主が負担しますが、長期的にはもっとも動きにくい大企業正社員の処遇悪化に至るのではないか。
その方式は、もはや限界に達しているのではないか。
そんなことを感じております。
*1:このためドイツが例に挙げられ、経済的な賃金格差は広がっていることがデータで示されています。
それぞれの限界を見極めたいお話。
「難しくみえる仕事でも、手順を追って教えて訓練すれば誰でもできるようになる」
「人間の能力の向上に限界はない」
努力すればできるようになる、という学校教育の影響なのでしょうか。
このようなことは広く信じられており、職場でも同じようなことを言われたことがあるのではないでしょうか。
しかし、これは誤りではないかと。
職場に配属された新人も「必ずできるようになる」と言われて次々に新しい仕事を割り当てられます。
新人自身は、自分の限界というものはわかりませんし、プレッシャーを受けてやろうと努力します。
新人も苦しそうに見える時もありますが、上司自身も「やればできる」という信念を持っており、自分自身もこなしてきたという自負もあり、続けさせる。
どこかで破綻がきます。
できない人にはできないし、上司には簡単に見える仕事でも新人には著しく困難。
新人自身も同じ「やればできる」と信じて続けると、どこかで精神か身体が壊れてしまいます。
時には、「苦しい」というサインすら出さないまま。
深夜までの賃金不払い残業などは論外として、定時+1~2時間程度の残業でも仕事の難しさが一定レベルを超えると、人間はあっけなく、壊れてしまいます。
限界はそれぞれですし、その閾値は意外に低いのではないかと最近感じております。
第一義的には、その限界を見極めなきゃならないのは仕事を割り振る上司ですが。
自分自身でも、その限界を知る必要があるのではないかと。
そんなことを感じています。
アルバイト・パートスタッフも「アットホームな職場」は求めていないというお話。
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どこの職場でも、アルバイト・パートのスタッフなしに仕事が回らないでしょう。
本書は、アルバイトの採用・育成に特化した入門書です。
よくある「俺はこうやって成功した」みたいな個人的経験を一般化しようとするものではなく、中原東大准教授の「人を育てる科学(学術的知見)」と、大規模な社会調査*1でデータを集め、それを科学的に分析して書かれたものです。
某弊社は学生アルバイトに働いてもらう業種ではありませんが、主婦パートはたくさんおります。
正社員ではない職制の方への仕事の指導は日々悩んでおりますので、何かヒントを得られるのではないかと読んでみました。
アルバイトの募集、採用ステージ、新人として仕事を始めるステージ、一人前になるまでの中堅ステージ、職場のリーダーとなるベテランステージまで、採用、育成について述べられております。
詳しくは本書を読んでもらうとして、一つだけ興味深かった点を。
従来の経営者向け・リーダー向けの本では、上司がスタッフのプライベートなことまで相談に乗ることでチームワークが高まる、などと書かれていることが多いです。
しかし、社会調査の結果、アルバイトの定着のため、短期間での離職防止のためには、「職場の仲の良さ」は離職防止にはあまり効果がなく、むしろ、職場の改善を提案できるなど、真面目な人間関係が存在すると定着して良い仕事ぶりになるとの知見が紹介されています。
「アットホームな職場」は求められておりません。
多くのアルバイト・パートも職場改善につながるコミュニケーションなどの真面目な人間関係を重視している。
こちらの調査結果につき、皆さんはどう感じられるでしょうか。
事例はアルバイトが多い外食産業などが多いですが、その他の業種でもパート・アルバイトがいないところはないかと思いますので、何かしらの示唆を得られることと思います。
人の使い方に悩む管理者の方にお勧めできる一冊です。
*1:大企業7社、約25000人からデータを集めております。