どこかで聞いたような「思想」の呪縛について。
本日のお題はこちら。
- 作者: 堀江貴文,落合陽一
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2018/04/05
- メディア: Kindle版
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話題のお二人の対談本ということで、ちょっと読んでみました。
対談をライターが書き起こしたものらしく、厳密な論理で書かれているわけではありません。
自由気ままに思いついたことを言い、編集者がうまくストーリーに落としているのでしょう。
この編集手法そのものはよく使われていますので、特に批判はいたしません。
本書の内容そのものについては、既に多くのレビューが書かれていますので、詳しい内容紹介や要約などは繰り返しません。
ここでは、ちょっと気になったポイントだけ。
いつもこのお二人は「自由に生きろ」「既成概念に捉われるな」などと主張しています。
読んでいて、面白いな、オリジナリティがある考えだなと感じられる部分もあります。
ただ、どこかで聞いたことがあるような記述もチラホラ。
「市場原理にまかせれば上手くいく、保育園も水道も民営化すれば効率化できる」
「公務員はAIでぜんぶ置き換えできる」
「大学の授業料は無料化すべきではない、やる気のある人を選別するためにオンラインサロンのように授業料を取って市場原理でやるべき」
など。
これって、よく竹中平蔵氏あたりが真顔で主張してそうな既存の「思想」であり、ステレオタイプの非効率な公務員像を前提にしているような。
「俺は世間の常識には囚われていない、先が見えている」と語るお二人ですが、見事に世間のステレオタイプのイメージを公務員や社会インフラを担う人々にぶつけている場面がチラホラと。
自由に生きろ、やりたいことをやれとさかんに煽りますが。
お二人に感化されて、みんなが自由に生きるようになったら。
交通、電気、水道、決済システム、治安維持など社会の公共インフラを提供している人々の顔が見えてきません。
誰がこの「つまらない仕事」をするのでしょう。
あっという間にAI?に置き換えられるとは思われません。
結局、程度の差はあれ、人々は既存の思想の呪縛からはなかなか自由になれないようです。
このお二人の行く末とその予言があたるかどうかは、注目しておこうと思います。